気持ちが悪い、と胃が言った。
 私は買ったばかりの川上弘美を読んでいる最中で、しかもわりといいところだったので、そう、と生返事をする。そう、よかったね。よかったね、というのは、私が相槌をうつときの口癖である。シンプルでありながら、なかなか便利な相槌だ。話の内容に合っていればよし、そうでなくても、あまり怒る人はいない。かわりに、なんだよう話きけよ、と怒ったような呆れたような調子でとがめる人が多い。胃は平々凡々なただの胃であるから独創的な返答をするわけもなく、やはり、なんだよう話きけよ、と怒ったような呆れたような調子で言った。
 気持ち悪いの、そうなの。へえ。
「吐きそう」
 吐きそうなの、ふうん。
 相変わらず小説はいいところ(といっても短編集なので、さきほどのわりといいところ、とは別の箇所である)なので、私の返事はおざなりである。そうやってふんふんと鸚鵡返しでのらりくらりとかわしていると、そのうち胃の底のあたりからもやりもやりと不快感がこみあげてきた。どうやら胃は実力行使に出る気満々らしい。
「吐くよ、うう、吐く」
 まあまあ待ちなさいよ、と、腹をさすることさえせずに頁をめくりながら胃をなだめる。
 吐く吐く言うけれど、いま、吐けるの?
「吐けるよ、正しくは吐かないけど、胃の内容物が逆流します」
 そうね。胃の内容物ね。胃の内容物って言ったってあなた、私、何も食べてないんだから、からっぽに決まってるでしょう。
「あっ」
 吐くっていっても吐くものなくちゃ吐けないじゃない。
「それもそうだね」
 これ読み終わってあなたがおちついたら、はちみついりのホットミルクのむから、それまで待ってなさい。
 はあい、と胃は五歳児のように素直でほがらかな返事をして黙った。何も飲み食いしていなくたって胃液が入っているに決まっているのだが、胃は私に似て頭が弱いのでうまくまるめこむことができた。ちなみに、この手で胃をまるめこむのは今月だけでもう五回目である。胃がこうしてごねるのは、たいてい私に構ってほしいときだ。それから、私が夜更かししすぎているとき。ホットミルクをのんだ後、歯磨きをしてからぽかぽかした胃を抱っこするように膝を抱えて床に就くと、寝不足のぶんを取り消しにできるくらいぐっすりと眠れる。
 文庫本はあと十五ページほどで終わる。おとなしく待っている胃のために、今日のホットミルクははちみつをすこし多めにしてやろう。


Fin


2008.3.13.thu.u
2008.3.13.thu.w

 

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