夜子さんと音

 夜子さんは音を聴くのが好きだ。音楽ではなく、音、である。
「音楽っていうのは音を楽しむって書くんだから、なんでも音楽なのよ」と、屁理屈のようなそうでもないようなよくわからないことを言っていた。実際、夜子さんが持っているもの(と言っていいのかはわからないが)といったらひどく少ない。黒いワンピースとカーディガンに、小さな赤いポシェットがひとつ。その中にはきれいな小石とか古びた錠前とか、役に立ちそうもないものばかりが入っている。それだけしか、ない。
「しずかにして、目を瞑って」
 言われたとおりにすると、あたりには夜色の静けさだけがひろがった。夜子さんがきいているのはこういうものなのだろうか。こっそり薄目で様子を窺うと、夜子さんも目を閉じていた。うすい胸がわずかに上下する。夜子さんはどこもかしこも細くてうすい。ぼくよりは年上なのはわかるけれど、そのきゃしゃさは同じクラスの女子と似ていた。それでいて不思議と痛々しくない細さ。
 結局その日はふたりでそうして並んで目を閉じていた。喋らなくても退屈しない時間があるということを、ぼくは夜子さんと出会ってから知った。
 帰りは夜子さんが送ってくれた。もっとも、夜子さんは送るなんて言わない。ただだまって隣をぺたぺたと(そう、夜子さんは靴を持っていない)歩いているだけだ。たぶん、散歩コースがぼくの帰り道と重なっているだけなのだろう。それでもぼくは嬉しかった。夜子さんと少しでもながく一緒にいられるのなら、理由なんてどうでもいいのだ。
「夜子さん、おやすみなさい」
 家の前でぼくが手を振ると、ちらりとふりかえった夜子さんがうなずいて、「よい夜を」と返してくれた。よい夜を。夜子さんらしい挨拶だ。
 それからぼくと夜子さんが別れるときの挨拶は、毎回それになった。よい夜を。夜子さんもよい夜を。
 今でもぼくはこの挨拶を使ってみたくなるのだけれど、夜子さん以外の人に言うのはなんとなくいやで、結局胸のうちでつぶやくことしか出来ない。

 とにもかくにも、これが夜子さんに関する記憶の一部である。
 他の話は、またいずれ。


Fin


2008.5.20.tue.u
2008.2.22.fri.w

 

back / index