数学教師と生徒A

 ぐらりら、睡魔にがくがくと肩をゆすられる。ねむたくてねむたくてしかたない。瞼を擦っていると、ミヤモトが「寝てていいですよ」と笑った。なにが寝てていいですよ、だ。一人で運転するのが寂しいからと家まで迎えに来て強引に助手席に乗せたくせに。こっちはドライブなんか来たくなかったのに。思いつつも、ん、わかった、と口が勝手に答える。自分に自動操縦モードがついてるなんて知らなかった。
「夜型のマツギでも眠くなるんですね」
「そりゃね」
 ミヤモトは眠気覚ましのガムを噛んでいるわけでもないのに、すいすいハンドルをきって運転している。もしかしてミヤモトは自分の眠気を他人にうつしたりできるんじゃなかろうか。
「ミヤモトはなんで眠くないの」
「んー? 徹夜は慣れっこですからね」
「あー、そっか」
 電話の少なさやすぐに途切れるメール(もっとも、お互いそういうものを好かないから、というのも大きな要因なのだが)からして、ミヤモトは意外と忙しいらしい。すくなくとも、平日の真夜中に高校生を助手席にのせてドライブする暇はないのではないかと思う程度には。
「ねえ、ミヤモト」
 初めて会ってからまだ一年とすこしなのに、もうミヤモトサンではなくミヤモトと呼び捨てにしている(ミヤモトはその丁寧な口調に似合わず最初からマツギと呼び捨てにしてきた)し、簡単な単語だけでもそれなりに意思の疎通がはかれる。といっても成功率は五割五分くらいだけれど、赤の他人がそれだけ通じ合えば充分すぎるじゃないだろうか。
 ミヤモトとの会話は案外少ない。余計なことを言いそうになるから。
「キスしようか」
 ミヤモトは困ったように眉尻をさげて、「運転中は無理」と笑った。無視して体を伸ばすと、片手でぺちっと額を叩かれる。
「きみね、せめて信号ひっかかるまで待ちなさい」
「うっわー、言い方がいかにも先生って感じ」
「実際、先生なんだから仕方ないでしょうに」
 まったく教育者らしくない顔で笑ったミヤモトに、不意打ちで唇を塞がれる。
「信号ひっかかってなかったように思うのは勘違いでしょうか」
「きみは馬鹿だから勘違いしたんでしょう」
 すまし顔でしゃあしゃあとミヤモトがそんなことを言うので、また、ミヤモトセンセイ愛してますと皮肉半分真心半分の愛の言葉を言い損ねてしまった。ミヤモトとはいつもこんな感じで、だからお互い、ごっこのようなキスとたまのデートだけでつながる細い糸に恋人というタグを貼って補強する時期を逃し続けている。たぶんミヤモトはそのほうがいいと思ってわざとタイミングを外しているのだろう。はっきりと言葉にしなければマツギの恋愛遍歴に変な傷を残したりしないでしょう、と、黒板に書いた数式について説明する時と同じパキパキした声で言うところまで容易に想像できる。
 助手席からみるミヤモトの横顔にこっそり「馬鹿はどっちだ」とだけ呟いて、目を閉じた。


Fin


2008.12.21.sun.u
2008.4.15.tue.w(2008.12.14.sun.加筆修正)

 

back / index