私は自分の中に泥が詰まっていることを酷く恥じている。
 外ではじわじわ染み出す汚れた水を懸命にぬぐってきれいにみせかけているので、人に中身が泥だと気づかれることはあまりない。気が抜けないし疲れはするものの、コツさえ覚えてしまえば単純作業だし、泥ではなくみんなと同じように綿やドライフラワーやパウダービーズなどが詰まっているように錯覚できるので、実は結構好きだ。欠陥品であることを忘れているあいだ、私は楽しいので、ずっと笑っている。
 家では気を抜いているので水は染み出し続ける。水溜まりに思い切り突っ込んだスニーカーのように不愉快ではあるが、慣れてしまえば動くたびにじゅぷじゅぷと水音を立てる以外の害は無い。
 但し眠る段になると話は別で、寝返りを打つたびに内側から泥の音がして寝つけない。なんとか音のしない位置を探そうと体をよじっても、夜の静けさの中で、不快な音はやけに大きく響く。泥の存在を忘れようにもうまくいかない。眠る前の私には、絶え間なく染み出続ける水を拭きつづけるだけの気力がないので、じっとりと濡れてゆく自分の中身を呪う言葉を心の中で呟く。口に出してしまったらその湿り気をおびた言葉を吸って泥が一層重たくなってしまいそうなので、無声で唇を震わせるように延々と動かすだけである。
 泥を吐きつくしてしまえば綺麗なものを詰め替えられるのではないかと思ったことがあった。試しに泥を出してみると体が軽くなって楽になったけれど、生の泥は他人を不快にさせるだけのものだったので、私は再び自分の中に泥を詰めなおした。それがきっと最善の選択だと信じた。信じなければ、縛っている口紐がほどけてまた泥がこぼれてしまうからだ。
 それを知っていても、泥に圧迫されて肺が潰れそうになった日は、本当は皆も泥が詰まっているのではないだろうかと夢を見て泥のうわずみのなるべくきれいなところ、でも確かに汚れている水で泥をゆるく溶いて、それをそっとこぼしてみたこともあった。今度は他人を不快にはしなかったけれど、代わりに「そんなものが出てくるなんて変だよどうしたの」とひどく心配された。なんだかお前は異常だと罵られている気がして、悲しくて一人の部屋の中でわあわあと泣いた。それから、人の心配を素直に受け取ることのできない自分の卑しさがせつなくて、そして私などを心配してくれる優しさにさえ報いることのできない自分の不甲斐なさに腹が立って、壁際に寄って膝に額を押しつけるようにすんすんと泣いた。


 ある日、一枚のCDを聞いた。肌を覆ううすい空気の層がざわめくようないい音楽だった。初めて聴く曲なのにどこか懐かしくて、私はそのアーティストを好きになった。アルバムを全部買ってきて、毎日すこしずつ聴いた。
 お気に入りの曲がいくつか出来て、部屋で口ずさむようになった頃、美術展のチケットを貰った。芸術というものへの興味も、美術展を観に行かない理由も無かったので、常備しているオレンジジュースとめんたいこを買いに行ったついでに立ち寄った。そこに飾られていたもののうち、三枚の絵と一体の像の前で、また肌の数ミリ上空がざわざわした。絵を二枚描いた人、もう一枚の絵を描いた人、像を作った人の計三人の名前をチェックして、帰りに図書館で調べた。それぞれの絵や像の写真が載っている画集を四冊借りて帰り、好きな曲を集めて自分で焼いたCDをかけながら、一晩中ページをめくった。やはりどこか懐かしいそれらを眺めているうち、私ははっと気づいて跳ね起きた。
 音楽は泥のたてるさまざまな音をサンプリングして作られたものだった。絵画の画材には泥が使われていた。像は泥を固めて作られたものだった。どうやら彼らにも泥が詰まっているらしい。懐かしいと思ったのは、自らの内にある泥と似ている部分があったからだろう。彼らは詰まった泥を吐きだして、しかも上手に処理しているのである。同じようなことができれば私も少しは眠りやすくなるかもしれない。
 早速パソコンにつなげるマイクと編集ソフトを買ってきて、泥の音を録ってみた。やはり不快な音だった。つたなくてもとりあえずどうにか一曲くらいできるだろうと一所懸命にいじってみたけれど、三ヶ月やっても泥の音は泥の音のままだった。
 次はスケッチブックを買ってきて、泥を塗ってみた。白い紙が濡れて汚れただけのことだった。子供のらくがきのようなものでもいいからどうにか一枚くらい描けないかと一所懸命に色々な塗り方を考えては試したけれど、四ヶ月やってもスケッチブックが七冊ゴミになっただけだった。
 最後にヘラとすのこを買ってきて、泥を捏ねてみた。水分が多すぎるのか一向に泥はまとまらなかった。この際団子をふたつ重ねただけの泥だるまでもいいからどうにか作りたいと一所懸命に丸めたけれど、五ヶ月やっても泥は形を保てずすのこの上にどろどろと溶けるばかりだった。
 マイクと編集ソフトを買ってきた日の一年後、私はマイクと編集ソフトとスケッチブック七冊とヘラとすのこをまとめてフードプロセッサーにかけてから、燃えないゴミの日に出した。


 最近の私はばれないように汚れを拭うのが一層上手くなった。
 部屋では泥をぼたぼたと口からこぼしているけれど、どうせ誰も見ていないのだから、構わない。人前で吐くのと違ってこぼした分だけ泥は沸いてくるので、楽にならないどころか、なんだか以前よりも量が増してきている気がしないでもないが、どうしようもないので確かめないことにしている。
 きれいに処理も出来ず、人前で吐いて減らすこともできない私の中の泥は、今日も内側で重い水音を立てている。


Fin


20101031sun.u
20100909thu.w

 

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