泣かないベラドンナリリー

 自分が吉河に恋をしていると気づいてからも、女に生まれたことを悲しんだことはない。
「よーしーかーわー、まだ終わらんのー?」
 熱心に委員会の仕事(アンケートの集計だかなんだかつまんなそうなこと)をやっている吉河の後ろから抱きついて、肩に顎を乗せる。このまま首筋をくすぐったり髪の毛の中に息を吹き込んで嫌がらせをしたりしたいのは山々だけれど、この前散々怒られたからおとなしく抱きつくだけで我慢しておく。
「……どこかのバカがあたしの邪魔をしなきゃとっくに終わってんだけど?」
「なに! どいつだ! 愛する吉河の邪魔はさせんぞ!」
「お前だ、お前。さっさとどいてよ」
 呆れ声でツッコミを入れつつも振りほどこうとはしないので、どいて、というのも本気ではないのだろう。無視して首に腕を回してべったりくっついたままにひひと笑うと、溜息が返ってきた。
 吉河のシャツからはいい匂いがする。女の子だから無条件でいい匂いがする、とかいうファンタジーやメルヘンのようなことを言っているのではなく、これは去年のクリスマスに贈った香水のものだ。華奢でふわふわでかわいくて、まるで花みたいな吉河にぴったりの甘い香り。化粧どころか服にすら頓着しないあんたからこんな洒落たもの貰うなんておどろいた、と笑った吉河に、あのころはまだどきどきしてしまってうまく笑い返せなかった。
「吉河はかわいいなあ。嫁に来いよ」
「自分より背が低い人のところには行きたくない」
「えー。ちょっと妥協して、髪が肩につくくらい長くなったら結婚しよう?」
「吉田拓郎か。つうかあんたがそんなに伸ばしたら今でさえ大惨事の天パがさらに爆発するでしょうが」
「爆発パーマごと愛してくれればいいじゃんよ」
「なんとか収める努力をしてから言ってくださーい」
 自分はサラツヤストレートだからって気軽に天パをバカにしてこの子はもー、と思ったけれど、言ってくださーい、と伸ばされた語尾が笑っていたので不問に付した。吉河が笑ってくれるのは嬉しい。
「あーもうほんと吉河かわいいなーオイ。どうすんの。そんなにかわいくてどうするつもりなの」
「あんたこそ、そんなに頭がおかしくてどうするつもりなの」
 ついでに目もおかしいんじゃない、とため息まじりに言われたけれど、実際に吉河はかわいいのだから仕方がない。行動と性格がかわいいのは勿論、外見がばっちりかわいい。女子同士の「マキかわいいー」「えーそんなことないよーミキのほうがかわいいよー」式社交辞令ではなく(ちなみにそういう社交辞令が一切言えないせいか、吉河を含めても片手の指で足りる程度の数しか友達がいない)、本当にかわいいのだ。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、という言葉があるけれど、吉河は常に百合の花のように背筋が伸びていて、凛としていて、それでいて可憐だ。摘み取るどころか手を触れることすらためらってしまうのに、決して近寄りがたいわけではない、不思議な魅力がある。本当なら一言で簡単に「かわいい」とまとめられるようなものではないのだけれど、それでも吉河のことは「かわいい」としか言えない。他の言葉を使って褒めたら、ただの女子同士のじゃれあい以上の意味がこもっていると気づかれそうで怖いのだ。
 吉河のことが、好きだ。友情ではなく愛情、ライクではなくラブ、月がきれいですけれど君はもっときれいですねのほうの、好き、だ(最後のは何か違っていた気もするがまあいいだろう)。でも吉河にそれを伝えるつもりはさらさらない。
 女子同士のスキンシップは、個人差はあれど、異性とのそれよりは段違いにハードルが低い。たとえば吉河と手をつないで遊びに行ったり、こうして抱きついたままだらだら喋ったり、一緒にお昼を食べたり、登下校を共にしたり、授業で二人組を作るときに当然のようにお互いを選んだり、そういうことは全部友達のままでできることだ。それどころか食べているケーキをあーんしてあげても、家に泊まっても、風呂上りに髪の毛を乾かしてもらっても、抱きしめて一つの布団で眠っても、とても仲のいい友達だね、としか思われない。そして、吉河とは「とても仲のいい友達」だ。
 友達のままではできないことなんて、キス以上のことくらいしか思いつかないし、そんなあとすこしのできないことのために、どうしてこの位置を捨てるなんてハイリスクローリターン(ノーリターンと言ったっていい)の賭けができようか。
 吉河に彼氏ができたとしても、それほどいやだとは思わない。恋人は一人だけに絞らなくてはならないが、友達はいくらいてもいいし、恋人と同時にいてもいいのだから、付き合いの切れにくさとしては圧倒的に友達の方が上である。
 吉河に同じような意味で好かれたいと思わなければ、「仲のいい友達」は最高のポジションだ。だから吉河を好きになってから参考にと読んでみた女性同士の恋を描いた漫画たちは、どれもピンとこなかった。どうしてみんな両思いになることに重きを置いているのだろう。どうして「恋人」のほうが「友人」よりも上だと信じて疑わないのだろう。どうして「好き」の意味を正しく伝えなくては苦しいままなのだろう。
 友人と恋人との差なんてほとんどないし、告白して全てを失うリスクを負ってまでやりたいことだとは思えない。正しい意味で伝わるように工夫を凝らして「好き」と言うより、ただ息をするように「好き好き大好き」と伝え続けるほうが、胸の中に言葉が詰まらないから苦しくならない。
 吉河のことを好きになってから、ときどきつらくなることはある。恋が猛毒のように喉を焼いて、何も言えなくなってしまうこともある。でもそれは「もしも吉河を怒らせて友達から格下げされたらどうしよう」と不安になったり、夜中に突然吉河に会ってこころゆくまで抱きしめたくなったり、そういうことばかりだ。付き合っていたらどうにかなるというようなものでもないだろう。
 自分が男だったら、と願ったことや、どうして女に生まれたんだろう、と悔いたこともない。めいいっぱい良く評価したってせいぜい中の下程度の容姿である自分が仮に男だったら、こんなふうに吉河とじゃれあうことなんて絶対にできなかっただろうから。同じ理由から、吉河が男ならよかったとも思わない。女の自分が、女の吉河を好きになった。これ以上に恵まれた状況などきっとない。
 好きだよ吉河、というと、あーはいはい、と笑って流される。いくら愛の言葉を吐いても、女子が女子に言う「好き」「愛してる」なんて鳴き声のようなものだと知っているから、吉河はそこに大した意味を見出さずに笑ってくれる。それでいい。こめられた意味なんか知らなくていい。どういうふうに好きかなんて、どれだけ愛しているのかなんて、吉河は一生知らなくていい。
「ふぃー、おわったー」
「おっつかれー。胸揉んであげようか」
「何そのあたしが得しないサービス。それを言うなら肩でしょうよ」
「はー? 肩揉んだって吉河一人が得するだけだけど、胸揉むとこっちは吉河のやわらかおっぱいが堪能できて嬉しい、そっちはカップがさらに進んで嬉しい、って二人とも得するんですよ? それとも吉河は自分さえよければいいの?」
「え? なんでいつのまにかあたしが悪いみたいな感じになってんの? あんた将来詐欺師になれるんじゃないの?」
「おう、いいね詐欺師。ばんばん嘘ついて丸め込んで億単位で稼ぎまくって吉河に貢ぐね」
「ちょ、薄汚い未来予想図にあたしを巻き込まないでよ」
「だーいじょーぶだーって。たとえ世界中を騙したって、吉河への愛の言葉は……嘘じゃないよ?」
「全然返事になってないし、溜めてかっこいい感じで言われても、前半が犯罪予告だからちょっとなぁ……」
「まじか。101回目のプロポーズにも失敗か。こうなったらもうトラックの前に飛び出して僕ァしにましぇえんってやるしかないんかな」
「そんなくだらない理由で死んだら葬式出てあげないからね」
「それってつまりくだらなくない理由で死んだら葬式出てもらえるくらいには好かれてるってこと?」
「ポジティブにも程があるよ」
 アンケートの束と集計結果の用紙をまとめてファイルに入れると、吉河は立ち上がった。つかれたー、と伸びをしたところに「ボディがガラ空きだぜ!」とすかさず抱きつくと、肘を脳天に振り下ろされる。吉河との定番ではあるけれど、だからといって痛みが軽減されるわけではない。しゃがみこんでうめいていると、笑いながら手を差し出して立たせてくれた。
「ごめんって。さっさとこれ提出して帰ろ」
「ごめんじゃ足りない! 誠意を見せろ! 抱きつかれながら下校するか手をつないで下校するかどちらか選ぶがいい!」
「うん、一人で帰るね」
「ナイスツンデレ」
「デレ部分どこ?」
「会話してくれるところ」
「デレの基準低いなあ」
 とりとめのない会話をしながらも、吉河は手をつないだまま離さずにいてくれる。実際にはそういう関係でなくても恋人つなぎで歩けるのは女子同士のいいところだ。細くてなめらかな吉河の指と、節ばかりが目立つ自分の指がぴったりと組み合わさるのは、何度やってみても不思議でしかたない。
「ねえねえ吉河」
「なに?」
「愛してるよー」
 知ってる知ってる、と何も知らない吉河は笑う。知られたら困るよ、と心の中だけで答える。
 自分が吉河に恋をしていると気づいてからも、女に生まれたことを悲しんだことはない。男になりたいと思ったこともない。この恋が叶うことなど初めから考えてもいない。
 ただ一つだけ願うのは、永遠に摘むつもりのないこの花のそばで、恋の毒でゆっくりと朽ちていくこと、それだけだ。


Fin


20110904sun.u
20110825thu.w

 

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