豚の姿をしたキャベツの独白

 明日、生きたまま腹を裂かれることになった。
 いつも私の食膳を整えたり何らかの検査をしたりする研究員が二人でそう話していたのを聞いたのだから、残念ながら間違いではない。残念ながら、と言ってはみたものの、実のところとりたてて悲愴な感じはしない。ただただ、ああ、そうなのか、いよいよか、と平らに思うばかりである。遅かれ早かれそういうことになる、ということはとうの昔にわかっていたから、死ぬこと自体はもう諦めている。ただその施術の際、死ぬまでどのくらい痛いのかを考えるととてもこわい。こわいから食事も喉を通りにくい。ちゃんと麻酔をしてくれるだろうか。いくらこの先死ぬだけだからと言っても、いや死ぬだけだからこそ、痛いのはいやだ。何がなんだかわからないうちにすっと死にたい。しかし話を聞いているとどうもこの望みも危ういようである。余程暴れなければ豚に麻酔などという上等なものは使ってくれないらしい。麻酔は打ってほしいが見苦しく暴れて晩節を汚すのは本意ではない。安楽を取るか矜持を取るかの問題である。豚にはそんな難しいことを感じるだけの感情の機微などない野蛮な生き物だと人間は思っているから、生きたまま腹を裂いて内臓を持ちだすなどということを平気でするらしい。まったく野蛮なのはどちらだ、と、責めるのではなく呆れた気持ちになる。
 人間が豚にはそんな感情の機微はないと決めつけている根拠としては、豚がその表現をしないから、ということを挙げているらしいが、しかしそんなのは人間の傲慢であり事実誤認である。こちらが表現しているものを、人間は豚の言葉がわからないから何も起きていないと見ているだけではないか。わからないものをわからないものとして見るのではなく、無いものとして見るという態度は奇妙だと思うのだが私の見てきた限りではどうやら人間はそういう性質のものらしい。人間は豚より簡単な言葉を使っているから、豚の言葉が難しすぎてわからないのだ。豚の言葉は豚同士か、豚と同等くらいにかしこい生き物にしか伝わらない。しかしいま権力を振りかざしているのは人間である。豚の蹄では人間のように道具を作ったり使ったりできないから負けてしまうのだ。五指があれば豚と人間の力関係はあるいは逆転していたのではないだろうか。だがあんなすかすかした、土を踏みしめがいのなさそうな蹠で生きるくらいならば、人間に蹂躙されながら死ぬ方がましとも言える。こまかな水の粒を含んだ上質の黒土が蹄をやわらかに受け止めてくれる、あのすばらしさを知らずに一生を過ごす人間は哀れでさえもある。
 私が生きたまま腹を裂かれるという残酷な死を待たねばならぬのは、何も私のせいではない。私の中には人間の臓器が詰まっているのである。人間には心臓や肝臓や腸や、そういうものがこわれてしまったときに、他の正常な臓器を持ってきて腹の中にしまう技術があり、私はその臓器を採取するためだけに育てられた。つまり私は正確に言えば純正の豚ではなくヒトブタとでもいうべきものなのだが、そんな訳のわからないものはいやだ。豚でありたい。豚の生を誇りたい。他の何も混じりけのない豚諸兄からみれば私のような異形を同じ豚と認めたくはないかもしれないが、しかしヒトともブタともつかぬ曖昧な化け物として生まれ、縁もゆかりもない人間なんぞのためにあたら命を散らさねばならぬこの憐れな運命に免じて、どうか豚の末席に加えられたい。
 それにしても人間は何をそんなにも生きる必要があるのだろう。心臓がこわれたときというのは、すなわちそれが死ぬべきときに他ならないのではないだろうか。天然自然のそのままに死ぬことを拒み、その死を他者に押しつけて生きのびることは、その生きのびた当人やその周りの者には喜ばしいことであろう。だがその死を押しつけられた他の命について彼らは考えるだろうか。激痛に悶える体を押さえつけて腹を切り、脈打つ心臓を取り出す人々がいることに思い至るのであろうか。私や死んでいった私のような豚たちのことを、彼らは愛する者の命がつながった瞬間に不要の物として忘れ去るのではないだろうか。臓器を産む畑として豚を扱う人間は、どんな論理をもってそれを正当化しているのだろうか。私の命を贈り物として受け取るのに、穏やかな死を以て報いてくれないのは何故だろうか。断じて恨み事ではない。ただただ不思議なのである。
 吹いてくる風の温度が変わった。もうすぐ夜が明ける。迫りくるその瞬間のことを意識すると、私の命が時計の針に切り刻まれて減っていくような錯覚に陥る。
 人間が神に祈るように指を組んで横たわり時を待とうかと思ったが、私の蹄ではそれも叶わない。そもそも豚の神に祈るのに人間の作法はおかしいだろう。中に詰まっているのがヒトのものであるせいか、ところどころ豚らしからぬ考えが顔を出すらしい。
 せめて最期の時は豚らしく鳴きたいと思った。


Fin


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