明滅するフィラメント

「君、夢はいつ見るものだか知っているかい?」
 おれの格好に何か言う代わりに、先輩はいつも通りのふらふらした声で話し始めた。うつむいたままのおれが「寝てる時でしょう」と答えると、先輩はくっと唇を曲げて笑う。
「当ててやろう、君は好きな女の子のタイプを聞かれると『笑顔のかわいい子』って言う人間だ」
「かわいいに越したことはないでしょう」
「物事の捉え方が大雑把だと言ってるんだよ」
「じゃあレム睡眠のとき、ですか」
「まあギリギリ追試は逃れる回答だな。三十点あげよう」
「いつも追試をギリギリ逃れられない先輩にとっては憧れの点数ですね?」
 俺のツッコミを無視して先輩は絵筆をくるくる回しながらスケッチブックを開いた。何か図解してくれるのかと思いきや、特に何も描かずに伏せる。何がしたいんですかと訊くべく開いた口に、先輩の指が突然つっこまれた。反射的にがちっと噛むと、全く痛くなさそうな顔で「何するんだ」と笑う。どう考えてもそれはおれのセリフだ。
「眠っている君の口にこうやって指を突っ込むとするだろう。すると君は、まあその夢が長いか短いかはわからないが、とにかくあれこれ紆余曲折があったとしても、君は必ず『口の中になんだかよくわからないものが入ってきてそれを吐きだす』という場面、またはそれに類するものから起床する。夢とは起きる寸前に組みたてられるものだからだ。つまり夢は起きる瞬間に見るものだ」
「起きる瞬間以外にも、レム睡眠中は夢を見てるんでしょう」
「見ているだろうね。しかしそれを君は覚えているか? 君が覚えていなければ、その存在は無だよ。覚えていないもの、観測されていないもの、それが存在したと示す証拠が何一つないものを『ある』と言って論じることに意味はあるのかな?」
「めんどくさいから話の続きしてください」
「君の面倒くさがりは最早美徳の域だな。話が早くて助かる。では続けるよ。いいか、夢は起きる瞬間に、その起きる瞬間の外的な刺激を結末に据えて組みたてられる訳だ。ところで君は胡蝶とか邯鄲とか言われて何も察せないような救い難い痴愚魯鈍の類ではないと思っているけれど、まさか期待を裏切ったりはしないだろうね?」
「しませんよ。夢が現実なのか現実が夢なのかよくわからんって話でしょう」
「厳密にいえばちょっと違うが、いま大事なのは大まかな解釈の方だからそれで満点くれてやる。よかったな。まあこんな古い作品を出してこなくても、『この世界は夢の世界であり、外側に現実世界がある』という設定のフィクションは古今東西並べるのが不可能な数存在するわけだが。では君、この世界が夢だったとしよう。君はどう思う?」
「はあ……マトリックスみたいなことできねぇかなーって思いますね」
「少年漫画的能力覚醒を夢見ていいのはジャンプを読んでいる間だけだと義務教育で習ってこなかったのかい」
「なんの授業で習うんですか」
「小学二年生の『せいかつ』あたりだよ。つまり基礎の基礎だな。だからさ、君、この世界が夢だったらだよ」
 先輩はニタリと笑っておれの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。焦点の合わない、夢見るようなと言えば聞こえはいいが、実際は単に虚ろで気持ちの悪いつやのない黒目がおれに向けられている。
「いつかは知らないが、夢を見ている存在が夢から覚める瞬間にこの世界は消失するわけだ。そして同時にそれは夢が決定する瞬間でもある。我々がこうして存在している、つまりこの世界が存在しているということは、その最後に至る道筋までも同時に決定しているということだ。運命の不確定性など本当は存在しない。世界の最後が決定した瞬間が世界の生成の瞬間であり、世界に流れるあらゆる時間、事象が決定する瞬間で、我々はその最後の瞬間に向けて全ての確定事項を演じ続ける、一切の自由意思をもたない存在だ。何もかもは決まっている。陳腐な言い方をすれば全てが運命だ。シナリオからの逸脱を試みることさえもシナリオ通りだ。だからなぁ、君、何を選んだって、どんなことを選んだっていいんだ。どうせそれは決まっていたことなんだ」
 一瞬だけ、先輩の茫洋とした目がうるんで光ったように見えたけれど、確認する前におれの視界から消えたのでもしかしたら見間違いだったのかもしれない。痩せぎすでほとんど骨だけのような、成長期のはずなのに肉の兆しがかけらも見られない先輩の腕が、おれの頭をきつく抱きよせた。先輩の制服まで汚れますよ、と押し戻そうとしたけれど、意外に力は強くほどけない。
「いいんだ、君の選択は間違いでも負けでも逃げでもない。そうなるように決まっていたんだ。自分を恥じたり責めたりなんかする必要はないんだ」
 おれもう学校行きたくないっす、と呟くと、先輩は肯定するように腕の力を強めた。靴跡のついた制服と、給食の残飯が詰められたスニーカーを履いたおれを抱きしめて、たぶん、先輩は泣いていた。


Fin


20130113sun.u
20121112mon.w

back / index