四月一日のセビラキガール

 むかしのはなしだけどね、とセビラキガールが話し始めた。
「あたしがパパとママと弟に内臓をあげたのもこんな薄曇りの日だったの」
 窓の外の、どこか遠くを見ながらセビラキガールはするすると言葉を続ける。ぼくはやりかけのジグソーパズルから顔をあげて、そうなんだ、と相槌をうった。いま作っているのはにぶい真珠色の海からブルーグレーのグラデーションを経て濃紺の夜空につながる、どこまでもぼんやりとしたとりとめのない二千ピースのパズルだ。かすかにちらばる飛沫のような星は到底手掛かりになるはずもなく、色の濃淡から推測して適当なピースを置いてみては、嵌まらずに浮くのを指先で確かめて外す、の繰り返しだけれど、これはこれで楽しい。あまりにも合わないと、身をよじって嫌がるようにピースが飛び出すのもなんだかかわいらしい。
「あたしが中学三年生のとき、パパとひどい喧嘩をして家出をしたの。三駅先に住んでる従姉の家に泊まって、一晩中お菓子を食べながらお喋りして、最初はパパ大っ嫌いとか味方するママも嫌いになったとかそういうことばかり言ってたけれど、結局は従姉にうまく楽しい思い出とかの話をひっぱりだされて、明日帰ったらパパに謝るわって約束して寝たのよ」
 セビラキガールが気まぐれに語ってくれる昔話はいつも違っている。内臓をあげた相手も理由も様々で、恋人の借金を返すために売ってしまったとか、山で遭難したときに幼馴染と分け合って食べてしまったとか、コレクターに何度も頼みこまれて情熱に負け譲り渡したとか、とにかく同じ話を聞いたことは一度もない。セビラキガールと付き合い始めたころはそのどれかが本当なのかもしれない、とあれこれ想像をめぐらせもしたけれど、いまではただ物語として楽しみになっている。セビラキガールの、透明の魚みたいな声でつるつると語られる「むかしのはなし」は、子供の頃好きだった絵本の読み聞かせのようだ。
「帰ってチャイムを鳴らしても誰も出てこなくって、そんなに怒ってるのかしら、って思いながら鍵を開けて中に入ったら、三和土が濡れてて転んじゃって、なにこれ、って思ったら目の前で弟が死んでたの」
 セビラキガールにも本当はちゃんとした名前があるはずなのだけれど、訊いても「それは必要なことかしら」と笑うばかりなので、いつしかぼくは知ろうとしなくなった。セビラキガールはセビラキガールだ。首の下から腰までがきれいに開いていて、そこから彼女の中身が大体見える。背骨のゆるやかなカーブとか、からっぽの鳥籠みたいな肋骨とか、ちらりとのぞく骨盤の白さとか、そういうことはちゃんと知っている。そして、それだけ知っていればもう十分だろうとも思う。
 セビラキガールには胃がないから食事を摂る必要がない。ぼくが食事をするときは、いつもおままごとのようなサイズのコップで紅茶やコーヒーを染ますように飲んで付き合ってくれる。でも肝臓がないのでお酒だけは飲まない。ぼくがアルコールを飲むときは、彼女はペリエをシャンパングラスに注ぎ、マドラーでかきまわしてから飲んでいる。形式を妙に守るところもかわいいと思う。
 セビラキガールはほとんど欲求がない。肺がないから呼吸をしなくていいし、腎臓や腸がないからトイレに行く必要もない。彼女がどうやって動いているのかはよくわからないけれど、内臓が入っているぼく自身がどうやって動いているのかも詳しくはわかっていないのだから、案外不思議なことでもないような気もする。人間、内臓のひとつやふたつなくても大丈夫なのかもしれない、と、風通しのいいセビラキガールの背中を見ていると思う。
「あたしが滑ったのは弟の血だったのよ。弟がおでこ割られて死んでるのを見て、なにこれって思いながらリビングに入ったらママが死んでて、なにこれなにこれなにこれって思いながらあちこち探して、やっとパパの部屋と階段のあいだの廊下でパパを見つけたわ。もちろん死んでた。みんな頭が割れてた」
 ぼくはちょっと前まで死にたがってばかりいた。死にたい死にたいがやがて死のう死のうになり、死ななくちゃ死ななくちゃになった日、お酒とカッターを買いに出かけた。酔っぱらって、痛みがあやふやになった状態で手首を切って、お風呂に浸かろうと思ったからだ。そこでセビラキガールに会い、そのあまりにもすかんと開いている背中を見て思わず「そんなになっても死ねないものですか」と訊くと、「心臓がないからもう死ねないの、きっと」とほほえまれて、ぼくは心から絶望した。心臓がなくても死ねないのなら、手首をいくらか切った程度で死ねる保障なんてどこにもない。傷口を水にひたしておけば血が止まらなくて死ぬって書いてあったのに、インターネットは嘘ばっかりだ、と落ち込んだぼくはヤケになってお酒を飲みに飲み、気づけばセビラキガールの膝枕で「むかしのはなし」を聞かせてもらっていた。大病を患った妹の手術がうまくいくように神社に半分内臓を奉納し、成功したあとでお礼にもう半分を納めた、という話だったと思う。気持ちよくて途中で眠ってしまい、最後まで聞き通すことができなかったから、どんな結末だったのかはいまいち覚えていない。
 それからぼくはセビラキガールと暮らし始めた。やっぱり死にたい死にたいとか死のう死のうとか思っていたけれど、「むかしのはなし」を聞きたいという欲求の方が勝っていた。死ぬ前にもうひとつだけ「むかしのはなし」を聞きたい、もうひとつだけ聞けたら次こそ死んでしまおう、と心に決めているのだけれど、話してもらうと必ずもうひとつ聞きたくなり、ぼくはいつまでも死ぬのをぐずぐずと先延ばしにしている。
「警察の人があとで言ってたけど、強盗が入ったんだって。たぶん、あたしが帰ってきたと思って、弟にドアを開けさせに行ったんでしょうね。あたしが家に入りやすいように」
 セビラキガールの大きく開いた背中が決してグロテスクにも下品にも見えないのは、彼女の姿勢のよさと骨の美しさのおかげだろう。一点の染みもない、すこし灰がかったマットな白の骨が連なる背骨は、不思議と生命のにおいがしない。
「もう死んじゃってたのはわかってたけど、死んじゃいや、死んじゃいや、って着てたワンピースのチャックごと背中を開けて、あたしの内臓を取り出して、まずは弟にあげたの。それからママに、パパにも。ごめんなさいって泣きながら手の届く範囲の内臓を全部ひっぱりだして入れてあげたんだけど、死んじゃってるんだからもうどうしようもなかったわ」
 セビラキガールが口をつぐんだけれど、ここで終わりではない。「むかしのはなし」は、ぼくが質問をひとつすると本当に終わることになっているのだ。きみの心臓は誰にあげたの、と訊きながらパズルの空白を埋めようとピースを押し込む。嵌まらなかった夜空のかけらが、またぱちんと窮屈そうに弾けて床に転がった。
「パパよ」
 窓を閉めて、セビラキガールがぼくの方へ寄ってきた。右手の爪ですーっとぼくの腹を開けると、みっちりと詰まっている胃や腸や肺や心臓、さわれる臓器をひとつひとつ舌の先でつつくように舐める。セビラキガールが「あなたいつもこんなことばっかり考えてるのね」と笑った吐息のせいで、内側からくすぐったくなってぼくも「やめてよ」と笑ってしまった。喋らなくても内臓を舐めれば何を考えているかわかるのに、やっぱり言葉は勝手に出てきてしまう。電子メールが普及しても手紙が滅びないのと似たようなものだろう。
 セビラキガールはぼくの内臓を舐めることができるけれど、ぼくはセビラキガールの内臓を舐められない。彼女の中身は骨と筋肉だけで、どこにも内臓はないからだ。だからぼくは嘘をつけないのに、セビラキガールはどこまでが本当でどこからが嘘なのかを曖昧にしながらヒラヒラと笑っていられる。不公平な気もするけれど、でも、よく考えれば、セビラキガールの言葉の虚実なんて本当はどうでもいいのだ。本当のことを知れると思うとついつい深追いしたくなってしまうけれど、知る必要のないことも、知りたくないことも、知ったってどうしようもないこともたくさんあるのだから、相手が教えてくれる以上のことなんて知らなくていい。
 ズルリズルリと僕の腸を引きずり出して、たたみこまれている部分のうねりを唇でなぞりながら、「すごく四月一日っぽいわ、あたしたち」とセビラキガールは微笑む。そうだね、と答えて、ぼくはセビラキガールの開いた背中に手を入れ、背骨をひとつずつ数えるように辿り、そっと肋骨のほうへ指を這わせる。守るべきもののない檻が抱く空洞の、かつて彼女の心臓があったであろうあたりを指でつついてみるけれど、当然ながら空を切るばかりで何もわからない。ぼくはわからなくてもいい。簡単にわかってしまったら、ぼくはいまみたいにセビラキガールを大事にできるかどうかわからないから。ぼくの思考、感情、記憶のすべてを舌で読みとりながら、それでも変わらずぼくの傍にいてくれるセビラキガールのように強い人間ではないのだ。
 そもそも、ぼくはぼく自身のこともよくわからない。心は体の機能の一部だから、自分のコントロールを超えることを平気でやらかす。何を考えているのかすら時々自分でわからなくなるのに、他人のことばかりよくわかっても仕方ない。
「ぼくは何を考えてる?」
「自分でわからないの?」
「わからないよ。自分じゃ自分のはらわたを舐められないから」
「変な人ね」
 そう言ってぼくの心臓を舐めたセビラキガールは、甘い声で「教えてあげないわ」とくすくす笑った。


Fin


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