DALCADERCA ZOZZOSON

 ダルカデルカ・ゾッゾソンは豊かな黒い巻き毛と、一族の歴史の中でも珍しいスミレ色の瞳を持った女である。ダルカデルカの形質は、こちらはごく普通の多腕多脚であるが、すらりと伸びる七本の足と四本の腕を巧みに操って歌い踊る姿はこのうえなく魅力的であった。
 父は本家三男のクロコマスモス・ゾッゾソン、母はスペイン人のカルロッタ・チュルカであり、ダルカデルカは物静かな父から感情表現としての音楽を、母から情熱的な気質を受け継いだ。
 音楽の才能に恵まれたダルカデルカは、決して見世物小屋における畸形のスターではなく、ホールで聴衆を集める世紀の歌姫として喝采を浴びた。また当時としては珍しい、歌いながらステージを跳ね踊るスタイルも人々の耳目を集めた。ダルカデルカは不断の努力により、常人よりも腕と脚の分だけ重い体を動かし続けても息を切らすことなく張りのある声で歌い続けられるだけの体力と肺活量を手に入れていたのである。お伽噺の中から抜け出てきたかのような異形の姿は、畸形というものに対する違和感よりもむしろその神秘性を強く人々に印象づけた。
 彼女の引き締まった全身、特にそのダンサーとして理想的な筋肉の詰まった脚は、椅子に座ることのできない彼女の身体の都合がもたらした副産物である。ピアニストになれなかった埋め合わせを神様がしてくれたのよ、とダルカデルカはしばしば語ったものだ。力強くも優雅さを失わないタップや、汗をはねちらしながらしなやかにうねる全身の躍動は、後に彼女の夫となった画家アルロゾ・ドルチに「完全なる肉体による生命讃歌」と評された。
 彼女は横になって眠ることも難しかったため、上体が深く傾く形のハンモックに体を預けるのが常であったが、ベッドの造形がとても好きだったため部屋には必ず二種類以上のベッドが置かれていた。何をするのか、と訊かれた際の「テーブルにしたり、花を並べてみたり、シーツをかけかえたり、スプリングを押して遊んでみたり、色々するわ。ただ眠るだけの人たちより私の方がベッドをずっと楽しんでいると思う」という答えはあまりにも有名であり、その年のファジュスク寝具店の広告に使用された。
 火のような気性のダルカデルカと芸術家特有の気分のむらがことに激しいアルロゾとは、周囲の予想通り言い争いの絶えない夫婦であったが、半日以上不仲が続くことはなかった。ダルカデルカが歌い出すか、アルロゾがスケッチを始めるかするとそれは謝罪の印であり、二人とも相手の最も美しい姿を見ながら怒り続けられるほど感情の長続きするたちではなかった。もっとも基本的には二人の愛情は深く、喧嘩の内容が大抵の場合ごくささやかなものであったことも勿論付け加えておかなくてはならないだろう。
 ダルカデルカは子を設けることのできない身体だったが、海の事故で亡くなった従兄夫婦の遺児ヒュージッタ・ゾッゾソンを養子として引き取り育てた。ヒュージッタは黒髪に緑の目、そして多指多腕だったため、ダルカデルカと並んでも実子のように見えたという。家族の縁が薄かったアルロゾはヒュージッタをダルカデルカに負けず劣らず可愛がった。生涯情熱的に愛し合った妻ダルカデルカよりも子を描いた作品の方が七枚多いことからもそれが伺える。特にイエンス展覧会に出品した「ヒュージッタの季節」と題する五枚の連作はアルロゾの最高傑作と呼び声高い。ただし自分との共通点が目の色しかないことだけは不満だったようで、一時期ブルネットの鬘を被っていたことがある。
 ダルカデルカの最も良かったステージはどれか、というのは当時の人々の世間話の種であり、それぞれが自分の一番好きな歌、あるいはダンスを挙げた。しかしダルカデルカの日記にはこう書かれているという。
『もちろんいつでも私は本気だし、全身全霊をかけて歌うし踊る、それは確かよ。でもどう考えたって、土曜日の昼下がりにアルロゾの前でヒュージッタの演奏するピアノに合わせて歌う気まぐれな即興歌よりも上手なステージなんて、一度もなかったと思うわ。だってそれが一番魂が散らないんだから、仕方ないことよね』

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