GIRCHIOTT ZOZZOSON

 ゾッゾソン一族に関する史料は比較的充実しているが、唯一、初代ソリンリソン・ゾッゾソンよりも前にいたとされるジルキオット・ゾッゾソンについては不明な点が多く、研究者の中でさえも虚構の存在であるとする主張が根強い。その一因として、畸形を特質とするゾッゾソンにおいてもあまりに現実離れした姿が伝わっていることがあげられる。その両腕は肘から先しかなく、位置も肩ではなく腰についていたそうだ。また多脚であり、四本の脚があったとされる。多脚は初期のゾッゾソンには珍しいとはいえ、四本程度ならまだないこともない。しかし「下半身がまるでケンタウルスのようであった」という異様な記述はあまりにも伝説めいており、ゾッゾソニアンたちの議論の種となっている。
 ジルキオットは呪われた森モンシュテルクの奥深くでごく粗末な小屋に住み、人が野の実や獣を求めて入る浅い部分へは姿を現さなかった。彼女が街に出なかった理由としては、ジルキオットの姿がモンシュテルクの魔獣・シュロルファンに似ていたためではないかとする説が定説とされている。これは北東部専門の民俗学者であり著名なゾッゾソニアンでもあるモリュー・カーファンクスが著作『ジルキオットの虚実』の中で唱えたものであり、こんにちのジルキオット研究の基本として重視されている。シュロルファンはごく淡い朝靄の肌と厳冬の風で洗われたような氷の瞳をもち、無腕六脚の半裸の女性の姿をとる。害意はないが、出会った生き物を「永遠の白」と呼ばれる自らの国へ連れ帰り、霜柱と氷柱を組み合わせた檻に入れて眺めることを好む。ジルキオットは白い肌と髪、ごく薄い水色(灰色とも言われる)の目をもつ美女だった。なお、ジルキオットの生年が不詳であることを挙げ、むしろシュロルファンがジルキオットの姿から創作されたのだとする者も一部にはいるが、地域につたわるわらべ歌などから考えるとその可能性はほとんどない。
 ジルキオットはその生涯の最後の十一年をジキットと名乗る青年と暮らした。彼は名字も出身も来歴も同居に至る経緯すらも不明であり、ジルキオット以上に謎に包まれているが、外見だけはわずかな記述から「ジルキオットよりも色素の抜けた、完全に白い髪」と「反対に夜のような真っ黒の瞳」をもつ、「ミルドベッラの木より少し高い」くらいの背丈の青年だと判明している。ジキットはジルキオットの代わりに湖から水を汲んだり街へ出て買い物をしたりと雑事を進んで行い、彼女の暮らしを格段に快適なものへと変化させたが、ジルキオット自身は喜ぶことも拒むこともなかったそうだ。ジルキオットは感情表現に乏しく、ジキットの手記には『彼女は腕だけでなく感情をも母の胎内に忘れてきたのかもしれない』と書かれている。この記述をもとに、ジルキオットの欠損は精神面、つまり感情にも及んでいたのではないかとするゾッゾソニアンもいる。
 ジルキオット一人で暮らせるように整えられた小屋は、腰から下にしか物を置いておらず、ジキットは何かするたびに腰をかがめなくてはならなかった。ジルキオットには「便利なようにすればいい」と部屋をいじる許可を貰っていたが、ジキットにしてみればそれは「同居人への思いやりや親切心ではなく、自分をとりまく一切に対する無関心の表れ」にしか感じられず、大きくいじる気にはなれなかったようだ。
 ジキットの手記である「ジキット遺稿」は、ジルキオット研究の際の最も有力な、そしてほとんど唯一の資料である。しかし近年、同時代の詩人ギールニール・ダッジの変名がジキット・アドルファであることから、「ジキット遺稿」がゾッゾソンに題材を取ったギールニールの散文詩であるとする説がシトミ・イハラベによって発表された。しかしギールニールは初代ソリンリソン・ゾッゾソンが五歳の頃に没しているため、当時は「ゾッゾソン家」自体が存在していないはずである。同時に、ジルキオットをゾッゾソン家の一員とするならば、初代ソリンリソン・ゾッゾソンといかなる関わりがあったのかという点に疑問が残る。
 ジルキオットの没年は不明である。彼女はジキットと暮らした十一年に、あまりにも唐突な失踪というピリオドを打ったため、それ以降の足取りは一切判明していない。「ジキット遺稿」によれば、ジルキオットはある日「ロイマイの泉へ行ってくる」と言い残し、その後一切の消息を絶ったそうだ。ちなみに、モンシュテルク周辺にロイマイ及びそれに似た名前の地域や泉は現存資料で確認できる限りにおいて存在していない。古語でロイマイは白を指すという資料を挙げているとあるゾッゾソニアンの独自研究もあるが、その古語に関する記述の出典は曖昧であり信頼性に欠ける。

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