35_2.風見鶏祭のこと おまけ



 

「あー辻くん! レジ俺終わったんだ?」
 声をかけてきたのは青木さんだった。紺地にピンクの花が上品に散らされた、スタンダードなデザインの浴衣を着ている。レジ俺での袴姿とはまた違った雰囲気だ。
「うん。さっきまで喫茶店だったんだけど、いとこにこの格好かっこいーとか散々言われて、呼んだの後悔した」
「え、なんで」
「や、俺より断然格好いい人にんなこと言われても……なんか恥ずかしいっていうか、うわっと思う」
「あはは。でも辻くんかっこいいよー」
「フォローありがとう……」
 青木さんの優しさが痛いほどしみる。というか少し痛い。傷口に消毒液がしみるのと同じだ。
「これからどうするの?」
「その格好いい人と一緒に回ってくるとこ。青木さんも?」
「え?」
「今日友達来てるんでしょ?」
「……え、あー、うん、さっきまで一緒だったよ。今はクラスの宣伝」
「そうなんだ」
「そうそう。三年A組で縁日やってるから来てねー」
「ん、お化け屋敷制覇したら行くわ」
 文化祭の案内によると、今年のお化け屋敷は五つらしい。中には「ナタデココ」という名前の本当にお化け屋敷なのか疑わしいところもあるが、まあ行ってみればわかるだろう。先輩は脅かし役に話しかけそうだな、なんて思って少し笑ってしまった。
「辻くんがお化け屋敷? 意外ー」
「いや、一緒に回る相手の要望」
「あ、そうなんだ。制覇がんばってね。結構並ぶと思うけど」
「……覚悟しとく」
「『めんどくさい』って言いそうなのにね」
「あー、まあ」
 先輩以外に頼まれたら、絶対にそんなめんどくさいことしたくない、と断っただろう。いや、先輩でも以前の俺なら断ったかもしれない。やっぱり先輩との付き合いの中で何かが変わっているのだろう。めんどくささの許容範囲とか。
「人待たせてるとこだから、そろそろ行くわ」
「あ、うん、ごめんね引き止めちゃって」
 じゃあ、と手を挙げかけたところで、気がついてそのまま浴衣を指す。
「コスモス?」
「え?」
「浴衣」
「あ、うん。コスモス」
 やわらかな色味と花の形が、ようやく頭の中で名前と結びついた。母親が庭に種をバラまいたせいで、毎年秋になると俺の部屋の周りは野性味あふれるコスモス畑と化すのだ。優真は来るたびメルヘンチックだと喜ぶが、俺のようなメルヘン成分皆無の顔をした野郎の生活の場だと思うと少々気持ち悪い。実際ミヅ姉には散々バカにされてきた(「アンタお花畑の中に住んでますって顔ォ?」だと。好きで住んでる訳じゃねえ)。おかげでコスモスの花には悪い印象しかない。
 ちなみに植えた、のではなく、文字通りバラまいた。ガーデニングに憧れて種を買ってきたものの、穴を掘って少しずつ埋めろ、という袋の指示を読む段階で世話が面倒になって適当に袋を振り回したのである(「手間隙かけてやらなきゃ成長できないようなひ弱な花なんていらないのよ」なんて言っていた。ガーデニングをしようとした人間の言葉ではないと思う)。俺の面倒くさがりは確実にあの人からの遺伝だと思うが、豪快さは確実に数段上だ。
「こうして見ると悪くないなあ」
「え、コスモスが?」
「うん。好きになれそう」
 そういえば去年はまだそんなに仲がよくなかったから、先輩はあの胸焼けがするようなメルヘンワールドを見ていないんだっけ。
 今年の秋、あの眩暈がしそうな光景を見せたらどんな顔をするだろう。
 初めてコスモスの咲き乱れる季節が待ち遠しい、と思った。


Fin


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