36_2.アサのこと おまけ



 

「あら、恭ちゃんどしたのそれ」
「……暑くなるから部屋着に買った」
 買ってきたばかりの甚平を着て母屋に顔を出すと、母親が目を丸くした。
「変?」
「ううん、全然。やっぱ恭ちゃんは和服似合うわねえ。学校も和服で行けばいいんじゃない?」
「無理。ご飯なに?」
「そうねー、ハンバーグにスピード感を出したもの、とか?」
「……母さん、うちはクワイエットルームじゃないんだけど」
 このまえ一緒に見た映画の言い回しを嬉々として真似ている母親に、やれやれと肩をすくめた。俺よりも数段上の面倒くさがりで、未だに録画予約もろくにできないくせに(「だって頼んだら恭ちゃんやってくれるじゃない」)、そういうどうでもいいことはすぐに覚える。どことなくちゅー先輩のようだ。最近では年上の人間とはそういうものだ、と思うようにしている。そうでないとやってられない。
「お夕飯は焼きなすと茹でた枝豆と、あと冷奴かしら」
「……わあ、ビールによく合いそう……」
「うふふ」
「うふふじゃないよ母さん。俺腹減ったんだけど」
 酒好きな両親と違い、俺は強いだけで呑むのはあまり好きではないのだ。そんな居酒屋のおつまみ的なメニューだけで夕飯を構成されては困る。肉を食わせろとは言わないが、せめて毎食きちんと動物性タンパク質を摂らせてほしい。
「しょうがないわねえ。じゃ、恭ちゃんにはお魚焼いてあげるわ。あと卵と納豆あればご飯二杯くらい食べられるでしょ?」
「うん……」
「恭ちゃんはよく食べるから、お母さん献立考えるのめんどくさいわー」
 高校生男子としてはごく普通、というか少ないくらいだと思うのだが。そろそろ自分の分は自分で作れ、という無言の脅迫なのかもしれない。一事が万事こんな調子で育てられてきたのでもう慣れっこだが、時々、自分がぐれずに育ったのは奇跡なんじゃないかなあと思ってしまう。いや、俺を育てるのを「めんどくさい」といって放棄しなかっただけ有難いのかもしれない。
「あ、母さん、今度卵焼きの焼き方教えて」
「えー? めんどくさいわねえ。シャカシャカしてジャーってやってクルクルすればいいだけよ」
 それでわかったら料理教室は軒並み潰れると思います、母上。
 仕方ない、毎日焼けばどうにか上達するだろう。あと一週間でどれだけ上手くなるかはわからないが、少しは卵焼きらしく形を整えられるようになるはずだ。
「なあに、いきなり卵焼きって。家庭科のテスト?」
「んー……いや」
(たまごやき作れる?)
(ぐちゃぐちゃっとするかもしれませんが、焼けないことはないんじゃないかと)
(いいよ。ぐちゃぐちゃっとしたので。今度作って)
 一ヶ月前の何気ない会話だ。何気なさすぎて、先輩は覚えていないかもしれない。
「卵焼き作る約束、したんだ」
 先輩の誕生日、八月五日はもうすぐだ。
 喜んでもらえるかわからないけど、俺に出来る範囲で精一杯のお祝いをしよう。



Fin


20080907sun.u
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