37_2.八月五日のこと おまけ



 

「恭介え、卵焼き飽きたー。別のもの作ってよ」
「……うっせ、勝手に来て勝手に食ってるくせに」
「何か言った?」
「なんも。いいよ俺全部食べっから。置いといて」
 この一週間というもの、毎日毎日練習しているのだが一向にうまく卵焼きを巻ける気配がない。誕生日は明後日だというのに、これはまずい。非常によろしくない。
 母親から話を聞いたらしく、ミヅ姉が「恭介が花嫁修業中だと聞いて」などとふざけたことを言いながらやってきたのだが、俺のかすかな期待に反して焼いたものを食べるだけでアドバイスなど全くしてくれない。うぜえ。
 青木さんに貸してもらった料理の本(「ゼッタイ失敗しない! 基本のおかず100品」というよくありがちな教本だ。そのゼッタイ失敗しない! という本通りに作っているのに成功しない俺は一体なんなのだ)を見ながらやっているのだが、うまくいかない。母親言うところの「シャカシャカしてジャーってやってクルクル」の、クルクルが全く出来ないのだ。巻くことに気をとられすぎてどうしても焦がしてしまう。
「あら、こっちの端っこのやつおいしいじゃない」
「うそっ」
「嘘よバカ」
「嘘つくんじゃねえよバカ」
「ちょっとお、あんた今お姉さまに向かってバカって言わなかった!?」
「言ってませんバカ」
「言ってんじゃないのよ!」
「ちょ、手元揺らすなよミヅ姉!」
 うまくいきそうだったのに、まだ焼けていなかった卵が流れて厚さが不ぞろいになってしまった。ああもうこの人は俺の邪魔しかしねえのなホントにな。
「大体あんた、どれもこれも何でこんなしょっぱいのよ。味覚おかしいの?」
「レシピ通りやってるよ。味覚もミヅ姉の金銭感覚よりは普通ですが?」
「生意気ー。誰に向かってクチきいてんのかわかってんの?」
「黙れバーゲン魔人。邪魔すんならあっちで座ってろよ」
 菜箸を振って追い払おうとしたが、あっさりかわされて甚平の肩を軽くつままれる。
「その甚平もー。あんた家の中でもちゃんとした格好してたじゃない。どしたのよ」
「あー? 関係ないじゃんミヅ姉には。暑くなってきたから夏仕様になっただけですー。俺の新しい魅力に夏の妖精もたじたじなんですー」
「何よそのキャッチコピー」
 呆れたミヅ姉を無視して、厚さが不揃いな卵を一応菜箸で巻いてみる。普通のやつでさえまともにできないのに、こんなデコボコしたやつじゃうまくいくわけもないが、材料がもったいないのだ。練習できるところはしておかなければ。
 案の定ぐちゃぐちゃのよくわからない塊になった卵を皿に移して、もう一度やるか、と卵を溶いた。ここまではもう何十回もやったからレシピを見なくても出来る。やっぱ問題は焼くところなんだよなあ、と眉根を寄せていると、塩を入れようとした手をミヅ姉がひっつかんだ。
「……ストップ恭介」
「あ?」
「なんで卵焼きにそんなだばっと塩入れてんのよ! あんたバカじゃないの!?」
「レシピ通りだよ!」
「どこの世界の卵焼きよそれ。ちょっと貸してみ?」
 言われたとおり本を渡すと、ミヅ姉は頭に手をあててため息をついた。なんだか非常にイラッとくる。
「……これに載ってるの、甘い卵焼きじゃないの」
「うん」
「どこがレシピ通りよ」
「いや、俺が作りたいのはしょっぱいやつだったから、砂糖をそのまま塩に」
「おかしいと思わなかった?」
「全然」
「おばさんたちも?」
「作ったの全部俺一人で食ってるから」
「じゃあ、食べてて異様にしょっぱいなーとか」
「俺、甘いのしか食ったことないから、てっきりこんなものだと」
「なわけないでしょ! あんたやっぱ舌おかしいわよ!」
 俺の手から大さじを奪ったミヅ姉が、そのあと二時間かけて正しいレシピと焼き方のコツを教えてくれた。内容の半分くらいは「バカ」だった気がするが、おかげで劇的に上達したので黙って言われておくことにする。そうか、塩はひとつまみでよかったのか。
「上手くなったじゃない」
「……ありがと」
「で、なんで卵焼きなのよ」
「作ってって言われた」
「……あんたが?」
「そうだけど」
「……物好きっつうかなんつうか、男の手料理なんか食べて何が楽しいんだか」
 それは俺も思う。
 けれど、先輩が作って欲しい、と言ったのだから仕方がない。
 誕生日に卵焼きとは随分地味だが、俺は先輩について殆ど何も知らないので、これくらいしか思いつかないのだ。
「作って欲しいっつったくらいなんだから、好物……なんだよなあ」
「なにが?」
「なんでもない」
「あっそ。ま、喜んでもらえるといいわね」
「……ん」
 皿の上の卵焼きを見ながら、明後日の朝もちゃんとしたのが焼けますように、と祈った。


Fin


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