48_2.不在の終わりのこと おまけ



 


 恭介が寝てしまってから、そっと部屋を出て藤見さんに電話をかけた。いかにも老紳士という言葉の似合う外見とは裏腹に、藤見さんは結構宵っ張りである。名前のわからない虫の歌をBGMに箱根旅行のお礼を言うと、藤見さんはふふっとやわらかく笑った。
『どうやらいいことがあったようですね』
「……わかります?」
 わかりますよ、と電話の向こうで藤見さんがまた笑う。おれそんなに浮かれた声だったのかな、と思わず口に手をあてた。そんなことをしたって出してしまったものは戻らないけど。
『何があったか訊いても?』
 どう答えようか、そもそも正直に言おうかどうか、束の間迷った。いくら旅行中に決意をかためたとはいえ、恭介に心配されたのを「いいこと」と言い切ってしまうのはやはりまだ怖い気がしたのだ。いやでも大丈夫、だって心配してくれるのは好意があるからで、人の好意はうれしいもので、うれしいものは「いいこと」で合ってる。怖いことなんて何もない。おれの濃度のうすい「好き」と同じように恭介の好意も扱えばいい。それがおれのと同じ意味をもっているなんて勘違いしなければ、何も考えてなかった頃みたいに幸せでいられる。大丈夫、何も変わらない。指でくちびるの端をにーっともちあげて笑顔を作りながら答えた。誰も見てなくたって笑わなくてはいけないのだ。
「恭介くんに心配されました」
『それはそれは』
 頷いたのか、声が近くなったり遠くなったりした。勘違いでなければわずかに面白がっているような響きが含まれている。この人が何を考えているのか、おれにはやっぱりよくわからない。
「それで、立て替えてもらってた箱根のお金なんですけど」
『ああ、それならお気になさらず』
 だから嫌だったんだよ、と思わず頭をぐしゃりと掻く。藤見さんにお金のことであまり世話になりたくない。人に何かを奢ってもらうのは好きだけど、藤見さんの場合ちょっと度が過ぎている。いくらおれが幼い頃からの付き合いとはいえ、血のつながりもなければ親類縁者でもない、ただ親友の孫というだけの人間のわがままに十数万も遣わせるわけにはいかない。毎月の食事会の代金や家賃の半分を払ってくれることについてはもう諦めて受け入れているけど、できればそれだって断りたいのだ。
 恭介くんのいないところへ連れて行ってくださいと頼んだあの夜は、何も考えたくなかったからついすべてを任せてしまったけれど、あれは本当にうかつだった。宿を発とうとロビーに行ったら「お代は頂いておりますので」と言われたときの、失敗した、という気持ちはまだ忘れられない。そうだよなあおれに払わせるわけないようなあああああああ、と頭を抱えなかっただけよく堪えたと思う。
「いやいやいくらなんでもそういうわけには。あれですよー、せめて半分でも受け取ってもらわないと、おれホント藤見さんと付き合いづらいですよ」
『それよりも恭介くんに心配をかけたお詫びとして何か奢ってあげたらいかがです。それに私のお金の使い道なんてきみに投資するくらいしかないんだから、いいじゃないですか』
「いやあ、おれは成功とか大成とかしないと思いますが」
 こんないい加減でやる気のない男に投資するよりは、ドブに札束をばらまいた方がどこかの金に困った人が助かるかもしれないぶんだけまだマシだろう。もしくはよりダイレクトにどこかの慈善団体に送金するとか。アフリカに学校建てる方が絶対有意義ですよ、と言うと『そういうのもやってますよ』と返ってきた。さすがだ。じゃなくて、おれへの投資とやらのぶんも全部回したらいいじゃないですか。誰かの幸せとか笑顔とか増やしましょうよ。冗談めかして続けると、藤見さんの声が少しだけ静かになった。あ、やばい、真面目なことを言われる前兆だ、と身構える。
『私は、君の幸せが見たいんですよ』
「……おれ、幸せですよ?」
 藤見さんは息だけで笑ってから、『おやすみなさい』と電話を切ってしまった。通話時間の表示されたディスプレイを眺めながら、おれ、幸せですよ、ともう一度呟く。
 恭介のことが好きで、恭介もおれのことは好きで(少なくとも嫌いではなくて)、そしておれはお互いの「好き」の種類が異なっていることについて説明する気など一生ない。始まらないから終わらない。おれと恭介の間には何もないから、失うおそれはない。
 それはとても幸せなことだと、おれは心から思うのだ。


Fin


20120701sun.u
20120630sat.w