09'WG-02.命短シ恋セヨワタシ


 

「お薦めの本?」
「うん。わたし、好きな作家の本しか読まないから、なんか新規開拓したいなーって」
 なにかない、と重ねて訊くと、辻くんは読み止しの文庫本から顔をあげた。おすすめのほん、と鸚鵡返しに呟いて、うーん、と首をひねり考え始める。軽く拳を握って鎖骨のあたりをこんこん叩いているのは、最近見つけた辻くんが真剣に考えているときのクセだ。本を読むときは内容にかかわらず(真面目な小説でもジャンプコミックスでも)眉間に皺がよっている、とか、左手の中指がちょっと内側にゆがんでいる、とか、他にもいろいろ見つけた。こんなにじっと辻くんを見ている自分がちょっときもちわるい。きもちわるいが仕方ない。恋する乙女というのはそういう生き物だ、と開き直っている。
「お薦めねえ……難しいな」
「無いなら無いでいいよー」
「うーん、いや、……あ、じゃあこれ読む?」
 今まで読んでいた文庫本を差し出されて、思わず「え、いいの?」と間抜けなことを言ってしまった。辻くんがいいって言ってるのになんでそんなどうでもいいこと訊き返すのわたしばかじゃないの。恥ずかしい。なんとか「読みかけじゃないの?」と、不自然じゃない程度に言葉をつないでみる。
「んー、もう全部覚えるくらい読んだから」
「あ、好きな本読み返すタイプ?」
「わりと」
 意外だ。辻くんは見るたびに違う本を読んでいるから、一度読んだらもう読み返したりしないんだと思っていた。わたしも好きな本は何度も読み返すので、共通点が見つかって嬉しい。ちなみに一番読み返した本は、たぶん松井千尋の『ハーツ』だ。中三までまともな本を読んだことがなかったわたしに、読書好きの友達が贈ってくれた。何度読んでも最後の手紙のところで泣いてしまうし、主人公の冷めた感じが辻くんにすこし似ている、と思う。
「この本、そんなに好きなんだ?」
「うん。児童文学だけど」
「えー、意外」
「面白いよ」
 辻くんが渡してくれたのは、ミヒャエル・エンデの『モモ』だった。時間泥棒が出てくる、ということ以外よく知らない。児童文学かあ。ナルニアもハリー・ポッターも読まなかったわたしには未知の領域だ。
「外国の児童文学ってさ、食べ物がおいしそうなんだ」
「たべもの?」
「うん。モモだとあれかな、はちみつとトースト。ナルニアなら『銀のいす』のときに出てきたあつあつのソーセージ。読み返すたびにスーパー行っていろいろ買って帰ってきてはがっかりする」
「がっかりするんだ」
「いや、だって想像上のとは全然違うから。青木さんもモモ読んだら是非ココアとはちみつトースト食べてがっかりしなよ」
「あはは、そうする」
 わたしも小さい頃、絵本に出てきたくだものやお菓子に憧れたな。『しろくまちゃんのほっとけーき』を読んではお母さんと作ったっけ。何度作ってもあのまっきいろのホットケーキよりおいしそうには作れなかったけど。ふわふわのもいいけど、生地をゆるくしてうすぺったいのを何枚も重ねるほうが豪華っぽくて好きだ。あー、今日帰りにホットケーキミックス買ってって、明日の朝ごはんホットケーキにしようかなあ。明日土曜日だし、いいかも。
「青木さんもなんかお薦めある?」
 ホットケーキに思いを馳せていたところにいきなり予想外の質問が飛んできて、わたしはまたも「え、え」などと間抜けな声を発するはめになってしまった。今日だけで何度目だろうこの展開。しっかりしろわたし。
「え、わ、わたし? 辻くんみたいに色々読んだりしてないよ?」
「いや、俺もそんな読んでないよ」
 嘘をついているようにも謙遜しているようにも見えないので、これはたぶん本気の発言なのだろう。辻くんの読書量で「そんな読んでない」だとしたら、わたしなんかは「活字すら見たことない」レベルだと思うんだけどな……ううう、なんかちょっとへこんだ。漫画ばっかり読んでないで、もうちょっとちゃんとした本(ってのも変だけど)を読もう。辻くんと共通の話題が欲しくて、前とは比べ物にならないくらい小説を読むようになったけど、ちょっと難しいのになると頭がついていかなくなってしまう。
「えーっと、えっと、そうだなあ……食べものおいしそうつながりで、川上弘美とかどう?」
「川上弘美か、教科書でしか読んだことないな。何がお薦め?」
「えっとね、『センセイの鞄』とか、あと『おめでとう』も結構好き。短編集なんだけど、話の一つにたこを食べるところがあって、『たこをむつむつと噛んだ』って出てくるのがすごくおいしそうだなって思った。『センセイの鞄』でもツキコさんとセンセイが、あ、ツキコさんって主人公なんだけど、いろんなものをおいしそうに食べてて、あーこういうカップルいいなーって思う」
 一気に喋ってからはっと気づく。わたし、食べ物の話しか、してない。あああわたしものっすごいアホっぽいよう。
 辻くんと二人きりでこんなに長い間喋れるなんて、以前のわたしには想像もつかなかった(辻くんは無愛想で、人と喋ってるところをほとんど見たことがなかった)から、これはこれで幸せなん、だけ、ど。だけど、こんなにアホっぽいところを晒すくらいなら、いっそ喋らないほうがマシだったかもしれない。
「たこか……あ、青木さんたこ焼き好き?」
「た、こやき? えーと、うん、まあ好きかな」
「これから駅向こうのたこ焼き屋行かない? 相沢がおいしいって言ってたんだけど、俺まだ行ったことないんだ」
 ちょっと待って助けて相沢くん、または少女漫画の神様。現実がわたしの予想の斜め上を突っ走りすぎてどうにかなりそうです。は、話してるだけでも正直いっぱいいっぱいなのに、ふたりで! 駅向こうまで! なにこれ!
 子曰く、男と女が一緒に遊びに行けばそれデートじゃん。というわけでこれはきっといわゆるひとつの下校デートというやつですよどうしたらいいんでしょうか相沢大明神。あ、だめだ、もうキャパの限界をとっくに超えてるからまともなこと考えられない。数時間前の「お薦めの本訊いてちょっと喋れたらいいなあ」なんてささやかな望みを胸にドキドキしていたわたしには想像もつかなかった展開だ。幸せすぎてどうしたらいいのかまったくわかりません。
「歩いてる途中でトラックとか突っ込んでくるんじゃないのこれ……」
「トラック?」
 しまった、動揺しすぎて思ってたことを口に出すなんて漫画のようなミスをしてしまった。
「やーなんでもないよ? 行くよ行く行く、たこやきおいしいよね! テンション上がる!」
 勢いでとりあえず押し切って、辻くんの肩を叩いた。わたしの意味不明なハイテンションにつられて、辻くんも珍しく笑っている。いつもの呆れたような笑い方(主に相沢くんにツッコむとき、そんな顔をする)とか、なんだか悟ったような微笑とかじゃなくて、本当に面白がってるみたいな表情。
「まあ好きかな、とか言ってたけど、そのテンションの上がり方からして本当はすんごくたこ焼き好きなんじゃないの」
「バレたー? わたしも駅向こうのたこ焼き屋行ったことないから楽しみすぎてテンション上がっちゃった」
 本当は全然好物でもなんでもないです。ごめんなさい。というか、月に一度食べるか食べないかすらあやしいです。
 でも今日からは、お気に入りのケーキ屋のいちごのタルトよりもお母さんの作ってくれる豚の角煮よりもたこ焼きが好き、そんなわたしになるのだ。
 好きな人の笑顔ひとつで好きなものがあっさり変わる、それも恋する乙女という生き物、だ。




Fin


20090301sun.u
20090301sun.w



◆リクエスト内容:青木さんと恭介の話/高校の日常
当サイトの少女漫画担当に頑張っていただきました。
リクエストありがとうございました!