09'xmas-02.青


 

「ハデにやられたなぁ」
 まさか声の主が俺に話しかけてきたなどとは思っていなかったので、俺は彼の声をスルーして黙々と本を読みつづけた。と、ページをめくろうとした文庫本が視界から消失する。顔をあげるとクラスメイトらしき人物が、俺の手から奪った(というほど荒々しいものではなかったが)本を手に立っていた。
「聞いてる?」
「聞こえてはいた」
「じゃ無視すんなよー」
 明るく笑いながら、彼は間抜けに空いた俺の手にポカリスエットの缶を置いた。いや、それより本返せよ。
「冷やした方がよくね?」
 頬っぺた、と示されて、遅まきながら鈍い痛みが戻ってきた。ありがたく受け取って頬にあてると、熱が吸い取られていくようで気持ちがいい。ありがとう、と軽く頭を下げると、気にするなというように手を振られた。動作のいちいちがドラマのワンシーンみたいにぴたっとキマるやつだな、と妙な所に感心してしまう。
「なんか殴られてるのがいるなーって思ったら知ってる顔だったからさ。ほっとくのもどうよ、とお節介の虫が俺にささやいただけだよ」
「何で相沢が俺のこと知ってんの?」
「クラスメイトじゃん。ってか辻こそ俺の名前知ってたんだ?」
「クラスメイトじゃん」
 口調を真似てみると、そりゃそーか、と相沢は笑った。本当は、さっきその名前を聞いたから思いだしただけだ。顔と頭と運動神経と性格が大変よろしい、らしい。そんな少女漫画の王子様みたいな人間がいるわけないだろうと思っていたのだが、友達どころか知り合いですらない俺にこんな気配りをしてくれるところを見ると、少なくとも顔と性格がいいというのは確かなようだ。相沢くんは辻みたいな冷血漢と大違いなんだからっ、と甲高く刺さる怒鳴り声が耳の奥によみがえる。あー、痛かった。女子の力とはいえ、手加減無しの平手は結構きつかった。まあ、ぼーっと殴られるがままの俺も俺だが。
「修羅場だったみたいじゃん」
「や、そんなんじゃないけど。告られて断ったら、その子の友達みたいなのが来て、なんかわかんないけど殴られた」
「人はそれを修羅場と呼ぶのよお兄さん……」
 俺は一人で本を読んでいるのが好きな上に背だけは高く目立つので(逆にいえばそれ以外の特徴はない)、たまに何か妙な夢を抱いているらしい女子につきあってくださいなどと言われることがある。相手に興味を持てない状態で付き合っても失礼なのでお断りしているが、殴られたのは初めてだ。といっても本人ではなく、その友人に、だが。「辻なんかには勿体ないくらいいい子なんだから!」「スカしてんじゃないわよ地味男!」等々、五分ほど力一杯に友人を賛美したり俺を罵倒したりしたのち、本当に付き合う気はないのかと最終確認をして、無いと答えた俺の頬を一発張り帰って行った。理不尽だ。ちなみに前述の相沢賛美も約五分の罵詈雑言タイムに発せられていた。何ゆえ千鳥ヶ崎高校屈指のイケメンと平凡かつ地味な俺を比べようと思ったのかは大いなる謎である。
「そうか。刃物が出てこなくても修羅場っていうのか」
「刃物持ち出されたことあんのかよ!」
「ないけど、イメージ」
 修羅っていうくらいだし、と答えると相沢は面白そうに大声で笑った。そんなに面白いこと言ったか俺。
「いや、辻って喋ると印象全然違うのな。びっくりしたわ」
「そうか?」
「そうだよ。クラスだとすげーとっつきにくそうってか、喋ってくんなそうな感じ。いつ見ても一人で本読んでるからさ、話しかけるなオーラ出てるっつーか」
「ああ……まあ、本は読んでるけど、話しかけられたら普通に返事するよ」
「嘘つけ、さっき最初俺のこと無視したくせに」
「俺に話しかけてると思わなかったからだよ。悪かった」
 いーってことよ、と相沢は笑いながら古い映画のスターみたいにきれいなウィンクをしてみせた。男にウィンクされても嬉しくねえ、とツッコみつつ、つられて笑う。
 高校一年の春、すこし暑いくらい晴れた放課後。
 初めてできた友達は、むやみに爽やかな五月の風が良く似合っていた。



Fin


20091225fri.u
20091223wed.w

 

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