うぇるかむABNORMAL




「あー! あそんであそんでー!」
 門の前で待っていた美雨が、俺の姿を見つけて走ってくる。
 最近、高校から帰るといつもこれだ。このあとは足にしがみついて遊んで構ってコールを延々繰り返すのである。これが美雨じゃなかったら確実にキレているだろう。
 良く考えるとやっていることはかなりうっとうしいはずなのに、相手が美雨だと思うと何故だか怒る気にならないのだ。なんだ、これが噂に聞く母性、いや父性というやつなのか。妻どころか彼女すらいない(まあ、嫁はいるがな)俺にもそういう本能はあったのか。
「あそんでー」
「ん、遊ぼうねー」
 一音さんによると、美雨が入るはずだった保育園の方で不手際があって、入園が少々遅れている、らしい。元々新興住宅地ではないので同い年の子供が少なく、近くに公園がないので保育園に入るまでは友達を探すことも出来ない。結果として、隣の兄ちゃんである俺が遊び相手に選ばれたのである。子供の相手なんてしたことがなかった俺だが、四歳にしては比較的しつけのしっかりしている美雨と遊ぶのは、想像していたよりもずっと楽しかった。
「今日は何する?」
「んーとね、んとねー、どうぶつえんごっこしよ!」
「了解」
 美雨の言う「どうぶつえんごっこ」というのは、ぬいぐるみを動物園のように配置して、客役をやったり動物役をやったりするという遊びである。あまりノリのよくない、ただぼそぼそ喋るだけの俺とそんな遊びをして楽しいのだろうか、と思うのだが、毎日こうしてねだってくるということは結構気に入ってくれているのだろう。ねこやうさぎなど、動物園らしからぬぬいぐるみの割合が高いのはご愛嬌だ。うさぎが一番お気に入りらしい。
「お邪魔します」
「あらあら、テルくんいらっしゃあい。いつもごめんなさいねえ」
 一音さんともすっかり馴染みになった。ちなみに一音さんは「美雨のお母さん」のような呼び方をひどく嫌っていて、「一音さん」と呼ぶようにと重々言いつけられた。
「美雨がねー、どうしてもテルくんと遊ぶって言ってきかないのよ」
「いえ、俺も楽しいんで」
「そーお? 本当悪いわねえ、ありがとねー。あ、ちょっとお買い物行ってくるけど、お留守番任せちゃっていいかしら」
「あー、はい。大丈夫です」
「おやつとかは冷蔵庫開けてもらったらわかるようになってるから、よろしくねー。いってきまあす」
 美雨と一緒に一音さんを見送ってから(小さな美雨のさらに小さな手がひらひら動くのを見るたびに人間ってすげえ、と実感する。同時にもう言葉にならないくらいかわいいとも思う)リビングに戻り、「遊ぶのとおやつとどっちが先?」と訊いた。十中八九「あそぶ!」と答えられるのはわかっているのだが、ちゃんと訊かないと拗ねるので疎かにしてはいけない大事な儀式だ。
 折りたたみ式のカフェテーブルを横にのけて、周りにあったティッシュの箱や俺の鞄で円をつくる。これの内側に動物を並べると「動物園」の完成である。
 ぬいぐるみの詰まったナップサックを引きずって、美雨が隣の部屋から戻ってきた。これははるちゃん、これはゆきちゃん、と一匹ずつ名前を俺に教えながら、独自ルールに基づいて動物を配置していく。ぬいぐるみの色ごとに分けることもあれば、種類別にすることも、完全ランダムのこともある。
「あんねー、おとーさんがりいちゃんのおともだちくれたんだよ」
「そっかー」
 りいちゃん、というのはぬいぐるみ軍団の中でも特に気に入っているうさぎのことだ。他にもむーちゃんやらゆゆちゃんやらいっぱいいるのだが、まだ俺がわかるのはりいちゃんだけである。美雨が連れまわしているのと、首に赤いりぼんが巻いてある(「りぼんのりいちゃん」なのだそうだ)ことでなんとか覚えた。
「りいちゃんのおともだちー」
 そう言って、りいちゃんの隣に薄い水色の猫を並べた。同じシリーズのぬいぐるみなのか顔が同じである。
「おともだちの名前は?」
「んとねー、すーちゃん」
「そっかー」
 どういう規則性によって名前をつけているのだろう。もしかしたら毎回思いつきかもしれないが、だとすると何の関連性もない名前を全部覚えているのはすごいと思う。
 しかしそんなささやかな疑問も、美雨がうれしそうに「すーちゃんはりいちゃんのおともだちでー、なかよしだからいっしょにどうぶつえんいくんだよ」なんて俺の顔を見上げながら喋っているのを聞いているとどうでもよくなった。名前にどういう由来があろうが、すーちゃんがりいちゃんのお友達だということさえ覚えておけばそれでいいのだ。そうかそうかとうなずいて、美雨の頭をなでる。
「美雨はりいちゃんが一番好き?」
「すきー!」
「そっか。じゃありいちゃんもきっと美雨が好きだな」
「ほんと?」
「訊いてみよっか?」
 目をきらきらさせた美雨からりいちゃんを受け取ってあぐらをかいた足の上に乗せ、「美雨のこと好き?」と訊くふりをする。俺が首を傾げるのにあわせて、美雨も首を傾げた。おおおおなんだこれすごく可愛い。
 一呼吸おいて、少しりいちゃんの手や頭を動かしてやりながらセリフを喋る。
「うん、りいも美雨ちゃんだーいすきー」
 りいちゃんのセリフだからといって、特に裏声に変えたりしたわけでもなんでもないのに、美雨は大喜びできゃあきゃあ声を上げている。
「みうもー! みうもすきすきー!」
「うわっ」
 足の上のぬいぐるみに抱きつこうと突っ込んできた美雨に危うく押し倒されかけた。幼女といえど、不意打ちで全体重をかけられたのだからよろけないでいるほうが無理だ。どうにか手でつっぱって踏みとどまったものの、非体育会系半ヒキコモリな俺にはちょっときつい。
 ぬいぐるみごと俺を抱きしめて(とはいっても手は届いていないが)、美雨が満面の笑みを浮かべた。
「みう、りいちゃんもおにいちゃんもだーいすきー!」
 不覚にもときめいたのは、さっきのタックルよりも破壊力のある不意打ちコンボのせいであって、俺は別にそういう性癖の持ち主ではない。
 と自分に言い聞かせていなくては、なんだか大事な糸がぶっつり切れてしまいそうで、俺はちょっと怖い。

 

 

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