旅する炊飯器

 晩御飯を終えてお茶をのんでいると、チャイムが鳴りました。
 宅配便か、それともまた引越しの挨拶か、ととりあえずハンコを片手にドアをあけると、そこにいたのは炊飯器でした。
「申し訳ないのですが、今夜だけでも泊めていただけますか」
 とても申し訳無さそうに、炊飯器は言いました。保温ランプの光り具合からしてほとほと困り果てているようです。
「この辺りでは見かけない型番ですね」
「ええ、西の方の生まれです」
 とりあえず部屋にあがってもらって、炊飯器の分もお茶を淹れました。ありがとうございます、と礼儀正しく湯のみを受け取るしぐさは、なかなか洗練されている旅人のものでした。
「お世話になるはずだったホテルが、この街に着くほんの二日前にいきなり潰れてしまって」
「それはそれは」
「野宿をしようにも、最近はホームレス襲撃事件が増えていますから。僕は型番が古すぎてもう部品がないんですよ。壊されたらおしまいなんです。本当に助かりました」
「いいえ、困った時はお互い様です」
 炊飯器は角のまるまった立方体のような形をしていて、長旅のせいで汚れたり傷がついたりしているものの、どうやら元々の色はオフホワイトだったようです。多機能ではありませんが、全体的に堅実で善良ないい炊飯器です。一人暮らしを始めた大学生が無印良品あたりで買ってきそうな感じ、とでも言えば良いでしょうか。
「何のために旅をされているんですか?」
「……僕が小さかった頃、NHKのドキュメンタリー番組を見たんですよ。アフリカの飢餓の実態、ってやつ。民放のいかにも、な泣かせの番組と違って、淡々と事実が述べられていって、もう本当、幼心に衝撃を受けましてね。それで何かしたいと思ったんですが、僕はただの炊飯器でしょう。電気がないと役に立たない。だからアフリカに行ってもただの鉄くずなんです。悔しかったなあ、本当に。なんで僕は飯盒じゃなくて炊飯器なんだろう、飯盒なら火さえあればご飯を炊けるのにって一晩中しくしく泣きました」
 炊飯器の小さい頃というのは一体いつなんでしょう、工場にいるころなんでしょうか、と疑問に思いましたが、話の腰を折るのは申し訳ないので相槌を打つだけにしました。
「家大――あ、家電大学です。僕らにとっては東大みたいなもんですね。で、家大の炊飯学科を首席で卒業して、一度は真面目に就職したんです。銀座の高級寿司屋で、顧客の中でも特別なお客様のためにご飯を炊いていました。でもね、そこに来る人はみんな餓えたことなんて一度も無い、豊かな人たちなんですよ。僕は思ったんです。ここでご飯を炊ける炊飯器なんていっぱいいる、僕がいなくなっても代わりはいくらだっている。でも旅をして白いご飯を人々にふるまってあげられるのは僕だけなんじゃないか、って」
 なかなかの熱血漢です。インドに行ったら目覚めるタイプの人、じゃなくて家電だろうなあ、と思いました。
「今は旅先の旅館やレストランでバイトをしながら、自費でお米と電気代を払って、恵まれない方々に無料でご飯を炊いてます。……同級生たちには驚かれましたけど、今の生活は幸せです」
 照れくさそうに笑って残りのお茶を啜る炊飯器は、確かにとても幸せそうでした。やるべきことを見つけた男の顔をしています。なるほど、充実した毎日を送っていそうだ、と納得しました。
「お先に休ませていただきますが、毛布などはお使いになりますか?」
「いえ、結構です。僕は炊飯器ですから。お気遣いありがとうございます」
 電源コードをしゅるしゅると収納して、炊飯器は机の上に座りました。なんでもそこが一番安心するのだそうです。おやすみなさい、と声をかけて、先に休ませていただきました。


 次の日、起きると既に炊飯器の姿はありませんでした。
 代わりに炊き立てのご飯とこんぶ、それからお味噌汁が書き置きと共に残されています。

『大変お世話になりました。どこの工場で組み立てられたかもわからないような、素性の知れない家電を泊めていただきありがとうございます。
せめてものお礼に朝食を用意させていただきました。宜しければご賞味下さい。
炊飯器 拝』

 また立ち寄ってくれますように、と心の中でお祈りをしながら噛み締めるご飯は、炊飯器の腕がいいのかそれともお米がいいのか、普段食べているものよりもとても甘い味がしました。
 その日は久しぶりに朝から和食をいただくことができて、一日幸せでした。



2008.12.4.thu.u
2008.12.4.thu.w

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