カショクショウ

「お見舞いに行くよ」
 開口一番、ウツロはそう云いました。
 ワタシは本を読みながらうとうとしているところだったので、ウツロがいつのまにか部屋の中まで入ってきていることに気づきませんでした。ウツロはいつも黒い革の編み上げブーツであがりこむので、床の掃除が大変です。お見舞いだからなのか、ウツロは薔薇とチューリップと百合とヤグルマソウとコスモスとカスミ草がとにかく沢山束ねられた、季節感も統一感もない花束を持っていました。どうやって季節外れの花を手に入れたのか、ワタシは知る由もありません。
「誰の?」
「ハナオカさん」
 知らない名前を出されたので、とりあえず、へぇ、と答えました。しかしワタシの返事を待たずにウツロはもう玄関のドアを開けていて、「何してるの、行くよ」ともう一度、鼻の頭に皺まで寄せて促します。こうなったらワタシが行くまでウツロは動きません。仕方なく立ち上がり、ワタシも靴を履いて出かけることにしました。
 ウツロはギィギィ軋むエレベーターに乗ると、上のボタンを押しました。
「ウツロ、それでは外に出られませんよ」
 答える代わりに、ウツロはエレベーターの床を勢い良く蹴りました。ボロを通り越してもはやアンティークなエレベーターは、編み上げブーツに蹴られるたびギウィギウィと恐ろしい声で鳴くので、ワタシは気が気ではありません。
「誰が外に行くって言った?」
 ウツロの喋り方は攻撃的なので、ウツロのことをよく知らない人は怖がったり嫌ったりします。けれどウツロは口が悪いだけで、けっして悪いやつではないのです。たぶん。
 ハナオカさんのお部屋は、ワタシの住むメゾン・ド・タリオの八階にありました。ウツロはガンッ、とドアを蹴りあけると(鍵が開いていたのです)「ハナオカさん、おみまい」とぶっきらぼうに言い、花束を投げつけました。見舞いに来た人の心臓を脅かすようなことをしてどうするんですか。しかしそれでもウツロとしてはかなり丁寧に渡した部類に入る勢いの投げつけ方だったので、ハナオカさんはきっとウツロの数少ない友達なのでしょう。ハナオカさんは黒髪を伸ばし、濃い緑のワンピースを着ている、なんだか深窓の令嬢という言葉を連想させるような人です。胸元のカメオのせいでしょうか。それとも、ワンピースの色が照り映えて淡い緑に染まってみえるほどに白い肌のせいでしょうか。
「ありがと、ウツロ。そちらの方は?」
「……どうでもいいよ」
 連れてきておいてそれですか、ウツロ。
「あー、えー、お構いなく」
「立ち上がれないから、このままで失礼させてもらいます。何も無い部屋でごめんなさいね」
 ハナオカさんはおっとりと笑いましたが、その言葉は勿論正確ではありません。部屋の中には無数の包み紙やビニール袋が散乱していて、足の踏み場も無いくらいです。ハナオカさんが濃い緑のスカートをふうわりと広げて座っているフローリング部分以外はいっそ芸術なのではないかと思えるほどにごちゃごちゃとゴミ(といっても、前述の通り包み紙やビニールだけなのですが)が積み上がっています。ウツロがぐしゃっと包み紙を五枚ほど踏んで、具合どう、といいました。
「そういえば、ハナオカさんはご病気だと伺いましたが」
「ええ、そうなの」
 病名を訊くのはさすがに不躾でしょうか、と逡巡しつつ、思いのほか元気そうなハナオカさんに何を言おうかと困っていると、ウツロが藪から棒に「カショクショウ」と言いました。
「え?」
「カショクショウなんだ、ハナオカさんは」
「過食症、ですか」
 それならば異様に白い肌にも納得できます。ほっそりとした体は、たぶん何もかもを吐いてしまっているせいなのでしょう。ウツロの持ってきた花束をためつすがめつしながら、ハナオカさんはあら、とおどろいたように声をあげました。
「ヤグルマソウが入ってるのね、これ」
 きれい、と呟いて、ハナオカさんはヤグルマソウを齧り始めました。え、え、ええっ、と目を丸くしている間に、ウツロの花束に入っていた七本ほどのヤグルマソウは綺麗に消えてしまいます。続いて百合の花びらを咀嚼し、チューリップを食み、コスモスを嚥下して、薔薇をぺろりと平らげると、カスミソウをちぎってはこんぺいとうのように口へ放り込みつつ、ハナオカさんはにっこりしました。
「お腹いっぱい。ごちそうさま」
「お粗末さま」
 まだワタシが目を白黒させていると、ウツロが面倒くさそうに花束の包み紙を足で引き寄せ、器用にも踵で破れ目を作って字を書いてくれました。ウツロは時たま意味の分からないところで神懸り的な技術を披露してくれます。
「花、食、症」
 声に出して読んでから、あ、カショクショウだ、とようやくワタシは気づきました。
「花食は命にはかかわらないけどものすごく不経済なのが難点」
「ほんとね。エンゲル係数がこわいわ」
「あの、それなら自分で育ててはどうでしょうか」
「あー、無理無理」
 ウツロが大袈裟に手を振り、ハナオカさんのワンピースの裾をめくりました。
「ほら、もう根ついて立ち上がれないから、植木鉢を日に当てたりできないんだよ」
 ハナオカさんの腰から下が白い根になってフローリングへもぐりこんでいます。確かにこれでは動けません。なるほど、これは大変そうです。
「だから時折、死なないように見舞いに来てる」
「うふふ、ごめんなさい。でももう少しで光合成が出来ると思うんだけど」
 薄緑に透けるてのひらを電燈にかざし、ハナオカさんは笑いました。
 ハナオカさんには申し訳ないのですが、ワタシもちょっと花食症になりたいなあ、と思いました。




2008.12.7.sat.u
2008.1.10.thu.w

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