硝子玉と狂人

 雑貨屋さんできれいなビー玉を見つけたので、そうだひさしぶりに硝子さんに会いに行こう、と思いつきました。
 吟味に吟味を重ね、一番きれいだな、と思った五粒(ビー玉の数え方をワタシは知りません。けれど、てのひらに乗るコロコロした重みは、粒、という感じがしました)をレジで「プレゼント用です」と告げてミントグリーンの袋に入れてもらいました。
 硝子さんは町外れの、廃墟みたいに見えるマンスリーマンションでふたり暮しをしています。メゾン・ド・タリオといい勝負の、古びすぎて逆に仙人のようになったエレベーターに乗りこみ、屋上のボタンを押します。よっこらせ、とギョリギョリ上がっていくエレベーターに少し酔いながらなんとか屋上にたどりつくと、真ん中にたっている小屋のドアをノックします。ウツロならいつもの仏頂面で蹴りあけるところですが、ワタシはそんなことはしません。
「あ、いらっしゃい。お久し振りです」
 硝子さんと同居しているキタハラくんが、のっそりと姿をあらわしました。キタハラくんも仏頂面ですが、ウツロの心底不愉快だ、と王義之ふうの堂々たる筆跡で顔中に大書きしているかのごとき攻撃的な仏頂面ではなく、はあまあ全部どうでもいいんですけどね、とでも言いたげな、無関心そうな仏頂面です。
「こんにちは。硝子さんにお会いしにきました」
「はあ。硝子さんならそろそろ受信終わって帰ってくると思うんで、お茶でも飲んで待ってて下さい」
 無関心そうな表情と裏腹に、キタハラくんは結構親切な人です。遠慮なくごちそうになることにして、ワタシは部屋の中にお邪魔しました。ちいさなガラステーブルにカップを出して、「どうぞ」とめんどくさそうな声ですすめてくれます。
「かぎゅーん」
 カップに口をつけたのとほぼ同時に、奇声とともに硝子さんが帰ってきました。ひょとりひょとりと独特の足取りでワタシの隣に座ると、やっと気づいたのか「なんだ、客だ」と今度はふつうの声で言います。
「お久し振りです」
「おー、言われてみれば久し振りな気がする。えーと、イタリア帰りだよね? 仙台だっけ?」
「どちらも違います。今日の受信はいかがでした?」
「あわただしい感じだったねえ。年度末だから。あ、そうだ、客がいるのに中で茶とかとんでもないね。外で飲もう外で。テーブル出して」
 最後のほうはキタハラくんに向けたセリフでした。キタハラくんは露骨に嫌な顔をしながらも、ガラステーブルの足を折りたたんで抱えると外に出て行きました。ワタシと硝子さんもそれぞれのカップを持ってキタハラくんのあとに続きます。
「んー、満月だね、名月や、ああ名月や、名月やー、っと」
 うすく雲のかかった空をながめながら、硝子さんはうたうように言いました。昨日が新月だったので、たぶん今日は糸のような月が見えるはずなのですが、硝子さんにはそんなことはどうでもいいのです(そもそも今は昼間です)。
「あ、硝子さん、おみやげ持ってきました」
「何、エジプト土産? わー楽しみー」
 ビー玉の入った袋を渡すと、硝子さんはニタリと笑いました。喜んでもらえたようです。
「いいねいいねー、実にエクセレント」
「硝子さんきっと喜ぶなあと思ったんです」
 えくせれんと、ともう一度あからさまに平仮名で発音して、硝子さんは両目を外しました。硝子さんは昔自分で自分の目をえぐってしまったので、今は両目に硝子玉をはめて過ごしているのです。それが、硝子さんという偽名の由来です。
「うーむ、世界が火の海。赤いビー玉は戦争の味よなぁ」
 緑色のビー玉をはめて、硝子さんは愉快そうにヒャッヒャッと笑いました。キタハラくんはそんな硝子さんのことを、やはりめんどくさいなあという顔で見ています。愛情や憐憫や義務感や、そういうものものが一切含まれない顔です。
「硝子さん、今日は満月じゃないです」
 キタハラくんがぼそりと言うと、硝子さんは「そういうこともあるかもね」とまたニタリと笑いました。



20110421thu.u
20090424fri.w(20110410.加筆修正)

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