ギィギィの二枚舌工房

 あれもこれもと頼まれていた用事がようやく片づいたので、疲れを癒すべく何かエンターテイメント的なものに触れることにしました。お芝居、コンサート、寄席、映画、と色々迷ってはみたものの、結局はいつも通り二枚舌工房へ行ってギィギィの話を聞くことに決めます。
 二枚舌工房は職人通りの外れにありますが、工房とは名前だけのことで、実際にはただのお店です。七匹の魚がうねうねと絡みあっている看板を掲げているので、時々魚屋かなにかと間違えた人が入ってしまうらしいのですが、店主のギィギィはむしろそうやって誰かが騙されるのを楽しんでいるフシがあるようです。性格が悪いですね、と言ってみたところ、「こんな店を営んでいるんだから当然でしょう?」とにったり笑われました。
「いらっしゃあい。最近忙しかったそうですねえ」
「ええ、まあ、おかげさまで」
 答えるとギィギィはにーっと笑いました。マフラーと立ち襟で隠れた口元も、きっとチェシャ猫みたいににやにやしていることでしょう。
 二枚舌工房は偽の知識を売るお店です。質問をするとギィギィがそれについて丁寧に答えてくれるのですが、すべてはギィギィのつく嘘です。それが何になるのかというと、何にもなりません。それでも常連客は多いのです。
「それで、今日は何を聞きに?」
「そうですねえ……ああ、そうだ。前から気になっていたのですが、野暮の語源はなんですか?」
「野暮、ですか。まずねえ、野暮というと洗練されていないとか無粋だとか、まあそういうような意味合いでしょう。で、それを強めたのが野暮天だとか野暮ったいだとかそういう言葉になると思われていますが、実は逆でして、『野暮天』がだんだん削れて野暮の一言でそういう意味をあらわすようになったんですよ。たとえるならまあそうですね、『さようならばごきげんよう』が略されて『さようなら』だけで別れの挨拶になった、あれと同じようなものです。それじゃあ野暮天がどうしてそういう意味になったのかについて説明する前にですね、そもそも野暮ってのは何なのかといいますと、これは簡単で魚の名前です。ヤボは淡水魚で、水温が三度以下かつ流れが非常に緩やかな川でしか生育しません。というのも、卵から成魚までの全てにおいて非常に身がやわらかく、流れの早い川では卵が破れてしまうからなんですねえ。物流の発達していない江戸時代には丸のままのヤボを食べることができるのはごく限られた、そうですね、夏にミカンを買ってこられるような金満家だけだったそうです。で、そんな珍味であるヤボですが、調理法としては、その舌にのせるだけでほろほろと崩れるようなやわらかな身の食感とほの甘い上品な味わいを楽しむことのできる刺身が一番良いとされています。ここでようやく話は『野暮天』に戻るんですが、これ自体は落語の題なんです。ちょっとしたことで小金を手に入れた男が、どうせすぐになくなる泡銭ならうまいものを食うのに使おうということでヤボを買おうとするんですが、『刺身にするのが一番よくて、天ぷらは油を吸って固くなるから絶対にだめだ』と魚屋に教えてもらったにも関わらず、帰りに天ぷらのいいにおいを嗅いで『ふーン、天ぷらかア、刺身より腹もふくれるしいいじゃねエか』と家に帰って天ぷらを作り、案の定身が縮んでガチガチに固くなり噛むことすらできない、というお話です。クライマックスの天ぷらをどうにか噛もうとするくだりがとても滑稽なのですが、最近はあまり演じる方もいらっしゃらないようですね。ま、とにかくこの『野暮天』から、最初は余計なことをして失敗する、という『助長』に近い言葉として使われていたのですが、余計なことをする、という部分がクローズアップされて次第に今の無粋な、というような意味合いになっていったようです」
 語り終えて、ギィギィはふうと息を吐きました。今日のもよい嘘でした、というと嬉しげにまたにーっと目を細めます。ギィギィの声は嘘と真実のあわいの響きを含んでいて、本当にこれは天職だなあ、と来るたびに思います。少し滑舌が悪くくぐもっているのですが、それを懸命に聞きとろうと集中するせいか余計に話に引き込まれます。
「それにしても、ギィギィはよくそんなにぺらぺらと嘘をつけるものですね。二枚舌工房とは言い得て妙です」
「あ、いや、違うんですよお。二枚舌工房というのは元々私の母のあだ名だったんです。ここで店をやるにあたって、商才豊かだった母にあやかろうと思いましてえ」
「おや? そうですか。しかしまた変なあだ名をつけられたものですね」
「ええ、まあ。なにせ、産んだ子供全員に舌が二枚あったものですから」
 そう言ってマフラーをほどいたギィギィは、開いた口から出した二枚の舌をぬめぬめとうごめかしてみせながら、いつものように笑ったのでした。



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