01.先輩のこと



 

 ちゅー先輩と知り合ったのは、去年の八月、部活のOBOG会である。本名は教えてくれないし、誰も呼ばない。ので、馴れ馴れしいとは思いつつ、俺もちゅー先輩と呼ぶほかない。
 名前は知らないが、ちゅー先輩という妙にかわいいあだ名の由来ならば知っている。身をもって、良く知っている。
 自己中、のちゅー。酔っ払うとキス魔になるから、接吻、のちゅー。外見がどう見たって中坊だから、中学生、のちゅー。そういうわけで、ちゅー先輩というのはとてもぴったりなあだ名なのである。
「ねー恭介、きょんきょん、きょーんちゃん」
「なんすか」
 アルコールに弱いくせにちゅー先輩はすぐに呑みたがる。しかもわざわざ俺の家まで来て呑む。曰く、「外見的にねーぇ居酒屋でのむのって色々うっといのネー、でも毎日大学の友達と一緒に呑むわけにもいかんし第一お金なくなるからね、意外と苦学生なんですよちゅー先輩はーぁ」だそうだ。俺が勉強している隣でたのしそうに手酌で酒をきゅうきゅう呑み、大抵酔いつぶれて一日泊まってから帰る。我が家は田舎なおかげかそれなりに大きく、さらに言えば俺の部屋は母屋ではなく小さな離れなので、ちゅー先輩をこっそり泊まらせることくらい簡単である。
 ちゅー先輩は酔っ払うと語尾がのびて、一人称が「ちゅー先輩」になる。やたら愛していると言いたがる。呂律が回らなくなることはないが、日本語はすこし壊れる。
「ちゅー先輩はーぁ、きょんちゃんのことアイシテルーます、のよぉー」
「はいはい俺もですよ」
 成り行きとはいえ男に愛していると言われるのはぞっとしない。が、もう慣れた。
 本を読む俺の膝に頭を預け、「きょんちゃんにひっざまっくらーしてもらったーの」なんて出鱈目な節をつけてうたう。全くちゅー先輩は身勝手である。やわらかな猫っ毛の髪を梳いてやると、うれしそうに目を細めた。しまった。数年前まで飼ってた猫とまったく同じところにごろりと寝転ぶものだから、ついつい癖でやってしまった。
「んんんどーしたんきょんちゃん、やさしくなーい?」
「すみません。飼ってた猫に似てたもので、つい」
「ちゅー先輩のこと猫あつかいーですか?」
 何で嬉しそうなんだか。
 俺は呆れたが、酔っ払いに何を言っても無駄なので、溜め息をついて頷いた。
「すみません」
「んん、ちゅー先輩うれしーです。そんじゃねーちゅー先輩はきょんちゃんの猫になってあげるー」
「結構です」
「遠慮しーなーいー! ちゅー先輩ときょんちゃんの仲じゃなぁい」
「遠慮じゃなくて本気ですが」
 俺の結構本気で迷惑がっている顔に気づきもせず、ちゅー先輩は俺の頬っぺたをぺろっと舐めてにっこりした。
「あれ、きょんちゃんおさけの味するですのね? ふっしぎー」
「あんたが呑みすぎて舌が馬鹿になってるだけです。もう寝てください」
「キャーアアー! ね、ねてくださいって、ヤダきょんちゃんちょー積極的ー! やっば! ちゅー先輩のてんそうが危険!」
 貞操だろうが。なんだよてんそうって。
「はいはい」
 自分用に敷いておいた布団にニコニコ笑ってハイテンションで騒ぐちゅー先輩を転がし、ぽんぽんと頭を軽く叩く。布団を上からかぶせてはい一丁出来上がり。
「おやすみ先輩」
「えーおやすみですかー? ちゅー先輩まだ眠くない」
「気のせいです」
「……気のせいかもー? 眠くなってきた気がするーです」
 言うが早いか目を閉じてちゅー先輩は眠ってしまった。寝かしつけるコツを覚えてしまった自分に少々自己嫌悪を覚えながら、俺は読書の続きに戻る。
 ちゅー先輩の(起きているときとはうってかわって)しずかな寝息をききながらページをめくっているうちに、俺もきっと、眠ってしまうのだろう。いつものことだ。
 それが「いつものこと」になってしまっていることが、果たしていいことなのか悪いことなのか、俺はまだ決めかねている。


Fin


20071229sat.u
20071203mon.w

 

back / top / next