04.飴玉のこと



 

 ちゅー先輩は時々、外見以上に子供っぽくなる。
「みてみて恭介くん!」
 はしゃいだ声に呼ばれてなんですかと振り向くと、俺の顔面目掛けて何か緑の物が飛んできた。思わずはたき落とすと、ちゅー先輩がびしっと俺を糾弾するように指さした。やめなさい行儀悪い、と手を下ろさせると、もう片方の手に先ほど俺の顔面を襲撃しようとしたなにか、が握られているのが目に入る。びろんと暗緑色のゴム紐で吊られたそれは、どうやら駄菓子屋で売っているカエルのおもちゃのようだ。後輩にカエルをぶつけるためだけに遊びに来たのかよ。ものすごくツッコミをいれたいが、この程度でいちいちツッコんでいては身が持たない。先輩との付き合いにはいい加減さと妥協と手抜きが必要不可欠だ。
「あー恭介くんひどい! 罪のないカエルになんてことすんのさ」
「カエルは無罪かもしれませんけど、いたいけな後輩に対して振り向きざまにカエルぶつけてくるような先輩は有罪ですね、確実に。閻魔様に怒られますよ」
「えっえっうそうそ、閻魔様って嘘つきの舌ひっこぬくだけのヒトじゃないの!?」
「随分見くびられてますね閻魔大王」
「ほんと、大王なのにね」
 自分で言ったくせに、あははとちゅー先輩は能天気に笑う。ぱふぱふとポンプ部分を無意味に押すと、吊られたカエルがひょんひょん後ろ足を動かす。なんだかもがいているようにも見えて少し哀れだ。
「そんなものどこで買ったんですか」
「んっとー、近所のショッピングセンターで駄菓子屋さん特集? みたいのやってて、そこで」
 うきうきとあちこちのポケット(カーキのモッズコートとその下に着ているオレンジのニットパーカーを合わせると結構な数だ)からパッチンガムだのポリバルーンだの点取り占いだのを取り出す姿は、元々中学生のような容姿をさらに幼く見せる。このひとは本当に大学生で、部活のOBで、俺の先輩なのだろうか。時折疑いたくなるのだけれど、以前免許証を持っていると言っていたので多分本当だ。車持ってるんですか、と訊くとううんと首を振り、「免許ないとひとりじゃお酒買えないから免許取ったんだー、ペーパードライバーだよう」とあっけらかんと言っていた。まあ、先輩の場合、免許を携帯しているだけでぐっと暮らしやすいのだろうけれど。平日に街を歩いているとよく補導されかけるらしいし(免許見せるとすんげーびっくりすんだよ、と先輩は悪戯っ子の顔で笑っていた)。
「恭介くん甘いの好き?」
「嫌いではないですよ」
「飴好き?」
「はあ、まあ」
 我ながら煮え切らない返事だと思いつつ、曖昧に答える。実際、男にしてはよく甘味を食べる方だとは思うが、それは好きだから、ではない。腹が減った時や勉強で疲れたとき、手っ取り早く糖分摂取と腹を落ち着かせるという二つの重要なポイントを満たしてくれるからだ。飴は手軽に持ち運べるし日持ちもするので、よく買って鞄に入れておく(そして腹をすかせた相沢たち友人にたかられることになる)。
「じゃあ、いっつも良い子の恭介くんにおれからプレゼント」
 じゃっじゃーん、と効果音つきでモッズコートの一番端っこのポケットから取り出したのは、いかにも駄菓子屋、といった風情のある卵色の袋だった。ありがとうございますと礼を言って受け取ると、そのうすっぺらな手触りと、それに反比例したかのような中身の重みにおどろく。油紙ってこんなのかな、と本でしか読んだことのないものを思い浮かべた。もちろん油ではなく何か薬品でコーティングされているのだ、ということはわかっていたけれど。
「中身見ていいですか」
「どーぞ」
 黄色いセロハンテープ(赤で「お買い上げありがとうございます」というようなことが印刷されている。駄菓子屋っぽくないな、と苦笑してしまった)を爪で剥がし、中を覗き込む。白っぽいなにかと、透き通っている小さな塊、それから色とりどりのドロップが入っていた。透き通っているのは多分氷砂糖だが、白っぽいものは知らない。砂糖かな、とも思ったが、ひとつぶ取り出して掌にのせてみると違うらしいことがわかった。丸みをおびた四角形で、薄荷のにおいはしない。
「これ、なんですか?」
「食べればわかるよ」
 ヘンなモノだったらいやじゃないですか、とツッコみかけたが、貰っておいてそれはないよなあと思いなおす。表情をちらりとうかがっても、いたずらを仕掛けている素振りはなく、ひたすらにこにこしている。先輩は裏表があまりないので、もしこれがくそまずい何かだとすればもっとわかりやすい顔――早く食べて顔をしかめないかなあ、と期待しているような――になるはずだ。よし大丈夫だ恭介、先輩を、というか、自分の人を見る目を信じろ。まずかったって死ぬわけじゃない。とりあえず、とひとつぶだけ口に含む。
「……不思議な味ですね」
「でしょ」
 不思議な、というのはプラス方向の評価だ。食べたことのない飴なのに、なぜだか懐かしい感じがする。
「俺、これ結構好きです」
「ほんと? よかった!」
「でもなんなんですか、この味。あ、……バター?」
「そうそうそうなのバター飴! おれねえこれすっごく好きなんだけどね、全然普通のお店で売ってなくていつもあー食べたいなーって思いながら駄菓子コーナー念入りに探してるの」
「大学生のすることですかそれ」
「食べたいんだから仕方ないじゃなーい」
 ぺろりと舌を出して笑う。その顔と行動が既に大学生じゃないから今更だよな、と内心溜め息をついて、俺も笑った。
「ってか、そんなにレアなもん俺にやっていいんですか」
「心配御無用無問題! 自分のぶんはちゃんと確保したもん」
 ぞろりと今度は内ポケットから重そうなビニール(紙だと破けるからだろうか)を取り出し、先輩は満面の笑みを浮かべた。どうでもいいが、このひとのポケットはいくつあって、何が入っているのだろう。もしかして四次元ポケット? そしてまさか先輩って猫型ロボット? 猫にしちゃ愛想が良すぎる気もするが、訳の分からなさや甘え癖はそれっぽい。いやいやそんなわけあるか、あってたまるか。
「好きなものは人にわけてあげたいじゃない」
「……先輩でもそんな心遣いができるんですね」
「恭介くんはおれをなんだと思ってるのかな」
「冗談です」
 もーそんなこと言う人には飴わけてあげないよー、と怒ったような声を出して腰に手をあててみせるが、顔は笑っているのでまったく説得力も迫力もない。すみませんでした、と頭を撫でると、「これに免じて許してあげよう」と頭をすりつけてくる。先輩は頭を撫でられるのが好きだ。猫よりは犬っぽいところのほうが多い。
「人にわけてあげたい、っていうか、好きなひとには好きなものをあげたいんだよ」
「それはどうも」
 男に好きといわれるのに慣れた、というのも随分しょっぱい話だ。もっとも、先輩はすぐにあれが好きこれが好きと言い出すひとなので、俺も初めの頃ほどは身構えたり慌てたりしていない。
 世の中にはいろんなひとがいるのだ。「好き」のハードルが低い人も高い人もいる。きっと、先輩は極端に低いだけなのだろう。
 袋を開いて、適当にもうひとつぶ飴を取り出す。今度は赤いドロップだった。明かりに透かすと、厚みや粉のかかりかたの違いのせいか、ところどころが虫食いのように光を遮る。飴というものは綺麗なのだな、と思い、まるでちゅー先輩みたいなことを思っている、とおかしくなった。
「どしたの? なんで笑ってんのー?」
「いえ」
 俺の顔を覗き込んできた先輩に、なんでも、といいかけて口を噤む。代わりに立ち上がって、先輩の目の上に赤い飴をかざした。
「綺麗だなあ、と、思って」
 本当だ、と笑ったちゅー先輩の顔も(悔しいことに)とても綺麗に見えた。


Fin


20080213wed.u
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