05.家事のこと



 

 実際のところ、おれは恭介が思っているほど何も出来ない訳じゃあない。
 一人暮らしだから炊事も掃除も洗濯もアイロンかけもその他諸々もぜんぶ自分でやらなくちゃいけない(残念ながら、代わりにやってあげるーとか言ってくれるような女の子はいない)。だから、家事くらい当たり前に出来る。勉強だって、大学は二回目の二年生が決まってるけど、別に頭が悪いからじゃない。たしかにおれはばかだけど留年するほどかといえばそうでもないのだ(恭介はあんまり信じてないけど)。
「えっ?」
 携帯で喋っていた恭介が、突然素っ頓狂な声を出した。なんだろ、と寝転がって読んでいた雑誌から顔をあげると、いつもだるそうな顔をしている恭介がさらにだるそうに「ん、うん、いい、いや平気」とか喋っている。恭介が誰かと電話をするなんて珍しいことだ。出会ってからちょくちょく遊びに来てもう半年経つけれど、ほとんど見たことがない。電話を切って、はあ、と溜め息をついた恭介と目が合った。なーに、と目で訊いてみると、肩をすくめて口を開く。
「んー……ちゅー先輩、今日予定あります?」
「おれ? あるとおもう?」
「大学生ってそんな暇なんすか」
「大学生っていうか、おれ個人が暇」
 どうせ留年するからって出たい講義しか出てないしね。サークルも一応入ってるけど、あんまりまじめに顔を出す気にもなれない。向こうもおれが来なくたってあんまり支障ないだろうし。
「晩飯、一緒に外で食いませんか」
「やー、おれはいいけど。んでも珍しいね、どしたの?」
 ご飯を食べるのは好きじゃないし、健康に悪いとわかっていながらも「あんまりおなか減ってないから今日は晩飯なしにしとこうかなあ」などと思っていたくらいなので、願ってもない申し出だ。外食するのはお金がかかることを除けば好きだ。にぎやかな雰囲気、いそがしく働く人たち。誰かと一緒に食べるご飯はおいしい。恭介みたいな子が相手だと尚更(いくら一人でご飯を食べたくないからって、合わない相手と食べるとやっぱりおいしくない)。
「いや、親が昨日から北海道行ってるんですけど、雪がすごくなって飛行機飛ばないから帰れないと連絡が」
「北海道! いいなー、白い恋人ー、熊カレー」
「観光行ったわけじゃないっすよ……親父の恩人だかなんだかっつー人にご不幸があって、夫婦で世話になってた人だからって二人で行っただけです」
「ふーん」
 雑誌を閉じて、恭介の顔を見上げる。金ないんだけどなあ、と溜め息をついている姿に、ふと思いついて挙手した。
「なんですか?」
「ごはん作る」
「は?」
「おれも今月ちょっと苦しいのでー、恭介くんちの台所を借りてご飯作るとおれも恭介くんもハッピーだと思う!」
 信じられないものを見るような目でまじまじと恭介がおれを見る。なんだよ。外食三昧だとでも思ってんのかよう。自炊しないとおれ破産しちゃうじゃない。貧乏学生なんだから。
「……ちゅー先輩、米洗うときに洗剤使わないって知ってますか」
「前々から思ってたけど、恭介くんはたまに本気で失礼だね?」
「いや、なんつーか……その、すみません」
 ばつが悪そうに謝る恭介はちょっと可愛い。まあ、見るからに生活力のなさそうなおれが飯を作るなんて言い出したのだから、恭介の反応も仕方ないものだとは思う。
「いいけどー。あれでしょ、おれがいっつもいっつもアレしてーコレしてーって言ってるからなんも出来ないって思ってんしょ」
「……」
 恭介が目をそらした。意外とわかりやすい子だ。思わず笑ってしまう。
「おれ、家庭科で五以外取ったことないもん」
「本当ですか?」
「本当ですよーだ」
 軽くあっかんべしてびっと舌を出すと、恭介が「先輩すごいですね」と笑った。それだけでもうおれはほわほわした気持ちになる。呑み始めの、ちょっとほろ酔いになったときみたいに胃と喉がぽかぽかする感じに似てる。
 誰かに褒めてもらうのは嬉しい。おれのことを認めてくれる気がするから。
 誰かが笑ってくれるのは嬉しい。ここにいてもいいよって言われてる気がするから。
 おれは要らなくないって、そう思えるから。
「恭介くん何食べたい?」
「や、何でもいいです。作ってもらうのにグダグダ言うのもどうかと思いますし」
「そーお?」
 ザンネン、と首を傾げてみせるが、内心ほっとした。あんまり難しいものをリクエストされてもおいしく作れる保証がない。おれが作れるのは煮物とか地味なものばっかりだ。
「あ、ちゅー先輩に任せっきりも悪いんで、俺が手伝えるようなもんにしてくれると嬉しいですけど」
「恭介くんまじめー。じゃあとりあえず冷蔵庫見て、何作れるか考えよっか」
「そっすね」
 おれがいつも遊びに来ている恭介の部屋は庭の離れなので、あまり母屋には行ったことがない。わくわくする、といったら、恭介はまた小さく笑っていた。たぶん、子供みたい、と思ったのだろう。
 子供扱いされたって平気だ。もう慣れているし、べつに嫌いじゃない。
「おいしいの作るねー」
 誰かのためにご飯を作るのはどうしてこんなに楽しいんだろう。何作ろうかなーと考えるときの楽しさは、遠足の前日に似ている。もっとも、遠足なんて行ったことないんだけど。
「頑張ってください」
 そう言った恭介の声は結構本気で期待しているようで、おれはえへへと笑った。頑張ります。
 誰かのためにご飯を作ってあげるのは、一人でいるよりずっとずっといい。


Fin


20080220wed.u
20080214thu.w

 

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