06.星を見たこと



 

 恭介は星を見るのが好きだ。
「冬は星を見るのに適してるんですよ」
「へぇ、なんで?」
「俺の個人的な好みです」
 てっきり専門的な答えが返ってくるのだと思っていたからびっくりした。天文部のくせにー、というと、自分もOBじゃないですか、と返される。まあ、そうだけどね。おれは「夜の学校に泊まりたい」ってだけで入部したからあんまり詳しいことは知らないのである。星を見るのは好きだけど、星とか宇宙にロマンは感じない。ああ、きれいだなあ、とか、でっかいなあ、とかのんびりおもいながら眺めるのが性に合う。だから星の名前もろくに知らない。シリウスって夏の星だっけ、とか言い出すくらいだ(そんなこと言ったら恭介にすごい顔をされそうだ)。でもそれでいい、と思う。星の名前がなんだって、きれいなことには変わらない。おれはもともと名前に頓着しないたちだ。
「お茶いりますか」
「あっ、ありがと」
「風邪引くといけないから、寒くなったら好きに飲んでください」
 こぽこぽとお茶が注がれる音さえ、それがホットのミルクティだというだけであたたかく聞こえるのはどうしてだろう。ほわほわ立ち上る湯気にまで甘いミルクの匂いが含まれていて、無性に嬉しくなる。紙コップは痛いくらいにほっかほかのミルクティの温度をおれの掌に伝えてきて、冷え始めた体に優しい。
 今日は恭介の家に泊まって、一緒に星を見ている。屋根の上に上るときいて、最初は駄々をこねて庭で見ようかと思ったのだけれど、恭介のいる離れは屋根がひらっぺたくなっているので怖くないですよ、と説得されたので従った。実際、ここは思っていたより安全な場所だ。星を見るためにこの離れを自分の部屋に貰った、と恭介がいうのもわかる気がした。星に近い身近な特等席。
「昔はちょっと体が弱かったんで、母屋に部屋があったんですけどね。小学校卒業してからはずっとこっち暮らしです」
「へー。いいなーいいなー」
「いいでしょ?」
 珍しいことに、恭介が子供っぽく笑った。本当に星を見るのが好きなんだな、と一目でわかる笑顔。
「俺、昔から熱中できることがあんまりなくて。スポーツも勉強もやればそこそこなんですけど、壁一枚抜けるところからは努力しなきゃいけないじゃないですか。好きならきっと努力できると思うんですけど、特にやりたいとも思わないし。結局、飛びぬけたところってのがないんですよね。本読んだり、散歩したり、ってのが趣味といえば趣味ですけど」
 恭介がこんなに自分のことを話すのも珍しい。今日の恭介は珍しいことづくしだ。黙ってコップのミルクティを啜りながら、うん、と相槌をうってきく。
「でも星見てると、あーそーいうのなくてもいいかなー、って気分になる、っていうか。星見るのっていいですよね。正しい楽しみ方が決められてるわけじゃないし、別に星の名前知らなくたって、綺麗なのには変わらないしなー、いっかなー、って思えるし」
 まるでおれみたいなことを言うので、おもわずくすりと笑ってしまった。あ、何すか、と恭介がちょっととがめるように言うので、「や、おれもおんなじこと思ってたからさあ」と手を振る。
「星がきれいー、っていうのと、シリウスがきれいー、っていうの、本質的に何も変わらないし」
「んー、まあ、そうですね」
 でも、ともう一杯紅茶をいれて飲みながら、恭介が空を見あげる。吐いた息が真っ白くなって、紅茶の湯気と一緒に夜空にもわもわと溶けた。
「さっきはあんなこと言いましたけど、星の名前を覚えるのもいいですよ。どの星がどれ、って正確にわからなくても」
「そう?」
「そうですよ」
 首を傾げると、恭介は当たり前の事でも言うように、白い息にくるまれた言葉をつぶやく。
「ちゃんと名前があるんだったら、名前で呼ばれるほうが良いじゃないですか。人も星も」
「……そう、だね」
 おれもなるべく恭介と同じふうににっこり笑う。恭介が言っていることは真実なのかもしれない。たしかにおれだって、ちゅー先輩とかじゃなくておいとかそこのとか呼ばれるのはいやだ。
 だけど、名前で呼ばれるのはもっといやだ。それもまた真実だ。
 べつに矛盾しているわけじゃない。おれにとっての本当と、恭介にとっての本当が違うだけの話。
「ねえ、シリウスってどれかな」
「シリウスですか? えーと、この時期見えるのかなあ」
「恭介くん意外と勉強不足ー」
「いいじゃないですか。ほら、星がこんなに綺麗なんだから、無粋なこと言わないで下さい」
 夜だから、と声をひそめて笑いあう。いつもより近くで見る星々はたしかにすごくきれいだ。すごくすごくきれい。それ以外、頭の悪いおれには言葉が見つからない。
 つめたい冬の空気にさらされて、星の光は一層つよく硬くとぎすまされるように見える。冬は星を見るのに適している、と言った恭介の気持ちがわかった気がした。きっと夏の星には出せない、このするどくて優しい光が好きなのだろう。
「ね、恭介くん」
「なんですか?」
 振り向いた恭介に、呼んでおきながら何を言えばいいのか自分で戸惑う。とりあえず「次もまた誘ってね」といつもどおりへらりと笑った。いいですよ、と恭介も笑う。ミルクティを飲んだ時みたいにほかほかした気持ちになった。
 早くその次が来ないかな、と、隣でおれがそんなことを考えてそわそわしていると知ったら、きっと恭介は笑うのだろう。



Fin


20070224.sun.w
20070217.sun.w

 

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