07.いちごのこと



 

「最近、旬がめちゃくちゃですよねえ」
「そうだねえ」
 自分のぶんのいちごに牛乳と砂糖をかけながら、おれはうなずく。おれが小さい頃、いちごの旬は今時分かもうちょっと後だった気がするけど、二月末くらいに食べたのが一番おいしかった。まだ三月だというのに、もう水っぽくてぐじゅぐじゅだ。砂糖抜きのジャムでも食べてる気分になってくる、というのは言いすぎか。
「つか、うつりますよ」
 ごほごほと咳き込みながら、恭介が言った。肩口まで布団をかけたまま、壁にもたれて座っている。目が心なしか赤っぽい。
 恭介が風邪を引いたというので、いちごを買ってお見舞いに来たのだ。それも恭介が母屋から器を持ってこられないことを見越して、わざわざ家で洗ってタッパーに詰めてきたのである。いまおれが使っている牛乳と砂糖も自分の家から持ってきた。わー、おれちょーやさしー。なんて、自画自賛してみる。
「いいよん。そしたら恭介くんお見舞いきてねっ」
「俺は先輩の家知りませんよ」
 当然だ、教えていないのだから。もっとも、教えたって恭介は来ないと思う。来る理由がない。
「じゃあ恭介くんちまで来るから看病してね、お粥は好きじゃないからおじやがイイナー」
「俺んちまで来れたら充分元気じゃないですか」
「わかんないよ、おれお隣さんかもしんないし」
「隣はずっと空き家です」
 いつもより元気の無い声はやっぱり病人らしい。あんまりふざけるのはやめとこ、と反省して、形が残る程度にやわらかくつぶしたいちごをスプーンですくって食べる。この時期のいちごはこうして牛乳と砂糖をかけて食べるのがいいのだ。旬のいちごでもいいけれど、それだと元が充分甘いから勿体ない、という貧乏根性丸出しの考えである。
「それ、うまいですか」
「おいしいよー、ひとくちいる?」
「……や、うつるからいいです。俺も牛乳貰っていいですか」
「どーぞ。栄養つけて元気出してね」
 落とさないように、と真剣な顔で牛乳を注ぐ姿が、すこし子供っぽくて可愛い。おもわずふふっと笑うと、なんですか、とかすかに首を傾げられた。なんでもないよ、とにっこりしていちごを口に運ぶ。つめたい牛乳が絡んでひんやりした舌触り。糖度があまり高くなくて、代わりに果汁が体積の半分くらいを占めていそうな春のいちごは水風船みたいだ。トマトも似たようなものなのに嫌いなのはどうしてだろう、と自分に訊いてみるが、答えは出ない。出なくても支障はないので、そういえば、と話し始めた恭介のほうに意識をむけた。
「昔、いとこが家に来たとき、いちごが出たんですよ」
「へえー」
「そしたら、その子がいちご潰して食ってて。俺はちょっとうまそうでいいなーと思ったんですけど、まねしようとしたらその子の母親が『お呼ばれしてるのにみっともない食べ方するんじゃないの!』ってすっごく怒って、まねしようにもできない雰囲気に、っていうか、もういちご食ってるような雰囲気じゃなくなっちゃって……あ、これ、怒られることなのかって思って」
 ぐい、とフォークの背でいちごを押しながら、恭介はぽつぽつ喋る。最近、恭介はおれに自分のことを話してくれることが多くなった。出逢った頃は本当に礼儀正しい模範的な後輩の顔をしていて、いっさい自分のことなんて喋らなかったのに。硬さが抜けてからもしばらくはガードを解いてくれなかった恭介が、こうしてすこしずつおれに慣れていってくれているというのは、とてもうれしい。おれは頼られるのは苦手だけれど、慣れてもらうのはとても好きだ。安心する。
「俺の親は多分気にしない人だとは思うんですが、それでもなんとなくできなくって。今日、何年か越しで食えました」
「おれのおかげ?」
 恭介がちょっと笑って、そうですね、先輩のおかげです、と、いつもみたいにあきれるんじゃなく静かに答えてくれた。えへへーとそばによると、はいはい、と頭をなでてくれる。恭介はなかなかおれをなでるのがうまい、と、なでられるたびに思う。最初会ったときは恭介のてのひらはうすっぺたくて大きいから全然なでるのにむいていないな、と思ったのだけれど(おれは反射的に初対面の人の手を見て、その印象で相手を分類するくせがあるのだ)。吐いているおれの背中をさすってくれたり、額にぺたぺた手をあててくれたときのひんやりした感触(そういえば夏なのにつめたかった、あれはどうしてだったんだろう。恭介の体温は高くはないけれど、夏場に気持ちいいと思うくらい冷えているはずもない)に、あ、いいな、と感じたのを覚えている。この子てのひらの使い方がうまいな、と。
「あ、牛乳ね、かきまわさないほうが良いよ」
「どうしてですか?」
「軽くつぶしてからいちごどけると、なんか花咲いたみたくなっててきれいなんだ」
「なるほど」
 真剣な顔でうなずき、恭介はつぶしたいちごをなるべく動かさないようにフォークで刺して食べ始めた。あ、ほんとだ、というように目が大きくみひらかれていくのを見ながら、おれも自分の分を食べる。砂糖が溶けた牛乳もとてもおいしい。外国の児童文学で登場人物たちがおいしそうにのむ「つめたくてあまいミルク」ってこんなのじゃないかな、と思うような味。
「いちごの食べ方もなかなか深いものですね」
「深いんだ、これ」
 感心したような口調がおもしろくて、思わず笑う。恭介はおれよりずっとしっかりしているくせして、こういうへんなところでずれている。本ばっかり読んでるからじゃないだろうか。そういえば恭介が人と遊んでいるという話をあんまり聞いたことがない。大丈夫なのかな、と、他人事なのに気になってしまった。おれは恭介とばっかり遊んでいるわけではないけれど、恭介はいつ予告なしに遊びに行っても家にいるのだ。
「俺としては」
「また風邪ひいたらいちご持ってお見舞いきたげるからね」
「……いま引いてる風邪も治らないうちから次のお見舞いの話しないでください」
「いいじゃん。恭介くん、ばかっぽいおれと違って風邪引きそうだから」
 どんな理屈ですかとこまごまツッコミをいれながら、恭介はとてもたのしそうだった。



Fin


20080229fri.u
20080229fri.w

 

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