10.詩的なことばのこと



 

 ほしがもってくるものをまつ。
 そんな詩的な一節を呟いたのが、よりによって相沢だったので俺は驚いた。相沢はどちらかといえば理系頭(そのくせ、来年度のクラス分けで俺と同じ文系を選択しているのは法学部志望だからだ。もちろん国立の)なので、文学とつくものはほとんど読まない。熱でも出たのか、と訝っていると、「なんだよじろじろ見ちゃって」と眉間に皺を寄せられた。
「何だよ辻、俺に惚れちゃった?」
「そんなことになったら舌噛み切って死んだ方がマシだな」
「あはは、照れ屋さんめ」
「殴るぞ? グーで強めに、しかも鳩尾を」
「イヤン、恭介ってば冗談通じないんだからん」
 何でオネエ言葉になるんだ。顔が端正な分、やけに似合っているから余計気持ち悪さが増す。
「で、なんだよ、今の、星が持ってくるものを待つ、ってのは」
「ああ、コレコレ」
 寄越したのは詩集でも小説でもなく(もっとも、相沢がそんなものを読むわけがないのだけれど)今まで相沢が使っていた英和辞書だった。意外に思っていると、ここ、と指で示される。
「『desire』の原義なんだって」
「へえ」
「辻が好きそうだなーと思った」
 desire、強い願望、要望、望みのもの、性的欲望。あまり良い感じのしない言葉なのに、原義がこんなに綺麗だとは思わなかった。星が持ってくるものを待つ。何だかロマンチックだ。
「星が持ってくるもの、ってなんだろうな」
「さあ。未知の金属片とか?」
「相沢に訊いた俺が馬鹿だった」
 こういうのはちゅー先輩に訊いた方が良い(浅木でもいいけれど、ちゅー先輩のほうがもっと俺の好みにぴったりくる答えをくれる)。俺とちゅー先輩は妙なところでうまがあう。勿論相沢の回答のほうが現実的ではあるし、男子高校生っぽいといえばそうなのだけれど、俺としてはもっと何か胸がときめくようなものであってほしいのだ。小説かぶれのロマンチストと笑いたければ笑うがいい。どうせ俺は骨の髄まで文系だ。
「俺はそういうのわかんねぇからなー。えーっと、なんだっけ、ちゅーさん? って従兄に教えてあげればいいじゃん。お前と好み被るんだろ?」
 ちゅー先輩のことは説明が面倒なので従兄だと言っている。部活に入っていない相沢にとっては「先輩と仲良くする」という事自体がよくわからないらしい。OBOG会のことも「めんどくさそうだなあ」と顔をしかめていた。中学時代、運動部に入ったら髪の色を理由に先輩から目を付けられたらしい。相沢曰く茶髪なのは生まれつきらしいが、正直なところ俺は怪しいと思っている。
「まあな」
 今度星を見るときにでもちゅー先輩に教えてあげよう。きっと先輩は「綺麗なことばだね」と笑ってくれることだろう。前に一緒に星を見たときよりもあたたかくなっているから、ぐっと過ごしやすいはずだ。寒い日に見る星が一番綺麗だ、と俺は何の根拠もなく思っているけれど、実際は手もかじかむし(手袋が嫌いだから余計につめたくなる)長時間屋根の上にいるのはつらい。だから人を誘うのにも気がひける。もう少しあったかくならないかな、と窓の外に目をやっていると、「何笑ってんだよ」と相沢が訝しげな声を出した。どうやら知らないうちに頬が緩んでいたらしい。どう言い繕おうかと内心慌てながら、いや、と言葉を濁した。
「もうすぐ春だから、星も見やすいなあ、と思って」
「あー、星見るの好きだもんなあ。俺は春っていうと桜のイメージしかねぇけど」
「桜か。花見もいいな。浅木たちと行こうか」
「いいねえ」
 なんとかごまかせたらしい。いつごろ桜が咲くだろうか、だとか、花見のスケジュールをどうしようか、というようなことを話し合いながらも、俺の心は別のことに占められていた。
 次の週末、晴れたら先輩と星を見よう。だからその日は酒を呑むな、と言っておこう。三月とはいえ、まだ夜は肌寒いから毛布を用意しておこう。そんなことばかりをつらつらと考えていた。
「そんなに楽しみか?」
 花見が、という主語が隠れているのだろうけれど、心の中で次の週末が、に置き換えた。
「勿論」
 うなずく俺はきっとさっきよりもゆったりと笑っていたに違いない。訳もなく、そう思った。


Fin


20080313thu.u
20080219tue.w

 

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