11.花見のこと



 

 単純だけれど、桜を見ると「ああ、春だな」と実感する。
 得体の知れないエネルギーのようなものに押されるのか、花盛りの時期に桜の木の下にいると頭がぼうっとする。
「しかし、どっこもかしこも浮かれたオッサンばーっか。絡まれませんよーに」
「花見シーズンだからね。これでもまだ少ない方なんじゃない?」
 今日はかねてよりの相談どおり、俺と相沢と浅木、というかわりばえのないメンツで近くの公園(自然の中を散歩できるのが売りの、案内板が園内のあちこちにあるような類いのでかいところだ)に花見をしに来た。桜は五分咲き、といったところだが、見るのに問題はない。
「野郎三人で花見なんて花があっても華がねえなあ」
 相沢がシートを敷きながらぶつぶつぼやいている。「適当に女子でも誘えば」と言ったら顔をしかめて拒否したくせに、と俺は(そしてたぶん浅木も)心の中でこっそりツッコミをいれた。もちろん、相沢の発言が心からのものではないとわかっているので、実際に声には出さない。軽そうな顔立ちから誤解されやすいが、相沢は男同士の友情を重んずるやつである。前にそれについてからかったら、照れ隠しなのか本気なのかは知らないが「うわべだけ見て寄ってくるような子に興味ないのヨネ」なんて(何故かまたオネエ口調で)非常に贅沢なことを言っていた。
「しかし、何も考えずにただ花見、ってのもいいものだよね。なんだか落ち着く」
「ん、同感だ」
「春の日差しの恩恵だな!」
 来る途中で寄ったスーパーのポリ袋からペットボトルと紙コップを出して、浅木が注いでくれる。ちなみに袋の中身は高校生男子にしてはハメも外さず、おとなしいセレクトの品々だ。ジュースと茶とお菓子が数品。酒も煙草も十八歳以下に見せてはいけないものもない。PTAに褒められそうなくらい健全である。
 星もいいが、桜を見るのもなかなかいいものだ。俺はたぶん、自然の持つスケールの大きさが好きなのだろう。
「はいはいおにーさん飲んで飲んでー酔って酔ってー」
「おまえは炭酸で酔えるのか、相沢」
「そーなのヨシミ酔っちゃったー」
「あほか」
「まあまあ、春の日差しの恩恵ってことでひとつ」
「恩恵でもなんでもねえよ」
 ツッコミ代わりにぺしっと頭をはたく。自分のことを名前で呼ぶな、気色悪い。相沢好美、なんて男とも女ともとれる名前だから違和感がなく、それが余計に鳥肌をたたせる原因になる。おい、浅木も笑ってないで止めてやれよ。
 女子高生のかしましいおしゃべりほどではないが、仲のいい友達といれば話の種は尽きない。アルコール抜きだってそれなりに盛り上がるしバカな話にもなる。どこどこの新作AVが神懸かった出来だっただの(これは相沢)、最近隣の家に住んでいる関西人の夫婦が喧嘩ばかりしているのだけれど何故か毎回途中からコントになっているという話だの(これは浅木。よっぽど何度もやりとりを聞かされているのだろう、流暢な物真似に俺と相沢は腹筋が痛くなるほど笑った)、どれもこれもどうでもいい話ばかりだけれどそのぶん楽しい。周りの方がうるさいくらいだから、細かいことを気にせず大声で騒げるのも一因だろう。早く咲きすぎていたぶんの花びらがたまにぽつりぽつりと落ちてくる中でする会話はいつもよりも楽しく感じる。
「ん、菓子もうない?」
「ほんとだ。買い足そうか」
 浅木が腰を浮かしたので、掌で押しとどめて立ち上がった。浅木の面倒見の良さに頼りっぱなしでは悪い。こういうふうに遊びに行こうと言い出すのはいつも相沢だが、実質的に準備をするのは大抵浅木である。今日だって浅木がいなければ芝生に直に座っていたことだろう。男だしジーンズを履いているのだから気にならないといえば気にならないが、シートがあるのとないのでは花見気分が随分違う。菓子も広げられないし。
「近くに売店あったよな。俺、座りすぎて疲れたし買ってくる」
「おー、恭介おっとこまえ!」
「やかましい。色男に言われても嬉しかねえよ」
 いつのまにか呼び方が「辻」から「恭介」になっている。相当テンションが上がっているようだ。軽く相沢を蹴り、一度伸びをしてから散歩用の歩道に出る。もうすこしすると散った花びらがはりついて汚くなるのだろう。桜が散るなら雨のせいがいいな、と思った。風に舞うのも情緒があるだろうけれど、後のことを考えるならどしゃ降りの雨に流されたほうがいい。踏みにじられた花びらを見なくて済むから。
「あー、きょんちゃん!」
 聞き覚えのある声に驚いて思わず立ち止まる。これは、えー、もしかして。
「……ちゅー先輩?」
「あはは! きょんちゃんだ! すっごいすっごい!」
 しかも酔っ払っている。
「どうしてこんなとこにいるんですか」
「んー? おはなみーとかあ、おさけ、です?」
「あんた酒メインだろ」
「ひゃっふーきょんきょんえっぱーですか! どおして考えてることわかります、ですよ?」
 えっぱー? えっぱー、えっぱー……ああ、エスパー。そんな特殊能力がなくたって、短くない付き合いの中から容易にわかるというものだ。
 日本語崩壊モードの先輩が何を言っているのかわかるようになってしまった自分が少し悲しい。満面の笑顔のままふにゃんと膝から崩れそうになったので、慌てて脇の下に手を通して一度しゃんとさせてから、俺の腕にもたれかからせるようにしてどうにか立たせた。身長差がありすぎて肩が貸せないのは痛い。とてもそうは見えないものの立派な成人だし、身分証明用の免許も携帯しているはずだから補導されたりはしないはずだが、こんな状態で放っておけるほど浅い付き合いでもない。
「大学ー、ちかく桜ないです、からね、ここまで来たっよ」
「あー、大学の人と来てるんですね? どこにいるんですか」
「さくらのあるとこ!」
「んなこたわかってますよ!」
 思わずツッコみながら、先輩の来た方向に進んでそれらしき団体を探す。今日はサラリーマンや中高生のほうが多いので、大学生らしき一団を見つけられればなんとかなるだろう。相沢、浅木、すまん。菓子が来るのはかなり後になる。
 がくん、と先輩をもたれさせていた右腕が突然ひっぱられて、思わず転びかけた。気力で踏ん張り、どうにか共倒れは免れる。でへへえ、と楽しそうに笑う先輩に、溜め息しか出てこない。飲むなとは言わない、すこしくらい自重しろ。そして一緒に来てるやつらもセーブさせろ。出来ないならこの危険生物から目を離すな。
「……先輩、おんぶしますよ」
「んー? きょんちゃんおんぶするますか?」
 よろけながら俺の前にまわり、よいしょ、と腕をひっぱる。い、痛いから痛いから! もげるからそれ! 脱臼する!
「ちが、ちょっ、俺をおんぶするんじゃなくて! 俺におんぶされてください!」
「あー、もー、きょんちゃんったらおばかさぁん」
「どっちがですか、もう……」
 大人しく背中におぶわれた先輩に、出会ってからのこの僅かな間に何度目かわからないほどついた溜め息がまたこぼれる。どこからどう来たのかわかりますか、と訊くと、まっすぐきたよー、と言うので、とりあえず信じてみることにした。酔ってるやつの「まっすぐ」がどれほどまっすぐかは知らないが。
「えっへっへ、すごいのよ」
「先輩の酔っ払いっぷりがですか」
「ちーっがーの」
 上機嫌の声で、ちゅー先輩はうたうように言う。
「きょおは柴っちもいないしー、なんっかねえ、きょーの人たちぃはおもしろなくて」
 ぺた、と頬っぺたを俺の頭にくっつけた。なにかの動物が俺のだ、と誇示するときのように、そのままわしゃわしゃと顎から耳のあたりをすりつけてくる。くすぐったい。
「きょんちゃんに会いたいなあ、って、思ってたよです、ね」
「……」
「したら、きょんきょんに会いました」
「……そうですか」
「そーでーす」
 酔っ払いはこれだから困る。にへへ、と笑う酒臭い息に顔をしかめて、先輩を背負いなおした。仲良くするにも相手を選ぶべきだな、俺。年上なのに気を遣わずに済む、という点では気楽で良いが、それ以上に面倒を見るために割いている時間や体力が多すぎる。コストパフォーマンスが悪い、とでも言うべきだろうか。まあ、人付き合いは損得ではないのだし、いいか。そもそもちゅー先輩は出会った時からこんな感じだ。
「奇跡ですなのよー」
「はいはい」
 つまらないときに「会いたい」と思ってくれるくらいには、先輩が俺との付き合いを気に入ってくれている。ただそれだけなのに、これくらいの面倒なら引き受けてもいいか、と思えるから不思議だ。きっと先輩はこの妙な人徳のおかげで楽しく生きてこれたのだろう。酒のせいか、いつもよりも高い体温が本当に子供みたいで、思わず笑ってしまった。
 この穏やかな気持ちも、いわゆる春の日差しの恩恵、ってやつだろう。


Fin


20080319wed.u
20080319wed.w

 

back / top / next