13.図書室のこと



 

「辻ィ、古典見せて」
「ん」
 放課後の図書室は良いところだ。
 部活の盛んなこの千鳥ヶ崎高校では利用する生徒も受験期と試験前を除けば少ないし、歴史のぶんだけ本は多い。それに、家と違ってうるさくまとわりついてくる先輩もいない(と言いつつ、ちゅー先輩を追い出さないあたり、実は結構先輩のいる生活を気に入っているのかもしれない)。
「サンキュ」
 俺のノートを受け取った相沢が、白い歯を見せてニッと笑った。おまえは歯磨き粉のCMにでも出る気か、とツッコみたいくらい完璧な笑顔。全く、ちゅー先輩といい相沢といい、俺の周りにはどうしてこうも芸能人みたいな顔をしたやつばかりなのか。もてたいと思ったこともないし、悲観するほどの不細工というわけでもないので普段はあまり気にしていないのだけれど、こうも美形に囲まれていると平々凡々を絵に描いたような己に溜め息をつきたくもなる。茶髪だけならともかく、長髪が野暮ったくない男なんてそうそういないだろう。
「俺のノートなんか見なくたって、見せてくれる女の子いっぱい居るだろ」
「んー、女子のノートは見づらいからねぇ」
 さらりと厭味なことを言って、おお、やっぱお前のいいなあ、と顔をほころばせる。そりゃあ、女子のピンクや水色のペンが氾濫するノートよりは見やすいだろう。
 見やすいノートを作るのは別に几帳面だから、とか勤勉だから、ではない。ただ面倒くさがりなだけなのである。一回でうまくまとめておけば試験前にそれを読むだけで対策が終わるし、必死こいて勉強しなくても真ん中より少し上はキープ可能だ。そのぶん余った時間で読書をしたり、そこらへんをふらふらと散歩したりできる。俺は自分の身の丈にあった暮らしをして、ゆっくりと毎日を楽しみたいのだ。というとジジイくさいだの枯れてるだのといわれるのであまり言わないが。大体ジジイくさいと枯れてるは同義だろう。放っておいてほしい。そんなの個人の自由じゃないか。
「しっかし辻も勤勉だよな。俺、おじいちゃん先生の授業は毎回寝てるよ」
 おじいちゃん先生というのは古典の担当教師のことだ。俺たちが入学するずっと前からおじいちゃん先生はとてもおじいちゃんだったらしい。外見的にはそろそろ定年っぽいのだが、十年前の卒業生も「俺が現役のときも定年間近って感じだった」といっているので、きっとおじいちゃん先生は妖精の類いなのだ、ということで俺の学年の見解は落ち着いている。
「知ってる。ついでに言うと、お前が毎回寝言言ってるのも知ってる」
「うぇ! 嘘だろ!?」
「このまえ『ちゃ、チャビン文化!』って言ってたぞ。どんな夢見てたんだ」
「……世界史のやりすぎかなぁ」
 肩をすくめて、ほら俺勉強家だから、なんてしゃあしゃあと言う。勉強家だったら新学期そうそう居眠りぶっこいたうえに俺のノートを借りたりしないと思うのだが、友達のよしみでツッコむのはやめておいた。ちょっと近くのセブンでコピーしてくるわ、と図書室を出る後姿を見送ってから、再び読んでいた本に戻る。
「あっ、辻くんだ」
 本日二度目の邪魔が入った(といったら失礼か)。
 なじみのない声にふりむくと、ノートや筆箱を抱えた女の子が立っていた。赤い眼鏡にみつあみ、どこか小動物を思わせる黒目がちの瞳。以前話題になった、ヤンキーとロリータファッションの女の子の友情モノで主題歌をうたっていた歌手に似ている。姿勢がいいからか、なんだかすらっとした百合が立っているみたいな印象を受ける。
「えー、と」
 言いよどんでいると、笑った彼女は「覚えてないんでしょ。青木だよー」と明るく助け舟を出してくれた。
「青木。青木桜子」
「あ、そうそう、青木さん」
 確か天文部で、俺と同じ二年だ。クラスは失念したが、まあ、問題あるまい。
「ごめん、俺、人の顔と名前覚えるの苦手で」
「天文部で見かけたときそんな感じしたからやっぱり、って思った。いいよいいよ」
 覚えていないといつまでもそれをネタにぐちぐち言うやつもいるので、青木さんの対応には安堵した。女子は敵に回すと後々まで面倒くさい。小中学生時代の苦い教訓だ。
「何読んでるの?」
「『人間の土地』」
 表紙を見せながら答えつつ、まんまだな俺、と内心ツッコんだ。
 裏面の「サン=テグジュペリの三日間の壮絶な遭難の記録とその中で彼が考えたこと」という解説に惹かれて読み始めたのだけれど、訳が好みではなくあまり面白くない。やたらと句読点が多い文章は苦手だ。まだ半分を過ぎたところだというのに、少々ギブアップしたくなってきている。
「へえ。わたし、サン=テグジュペリって言うと『星の王子様』しか読んだことないな。その本もちょっと興味あるけど、なんとなく手が出ないんだ」
「それで正解だと思う」
「あはは、面白くないんだ?」
「少なくとも俺にとってはね」
「じゃ、やめとこっと」
 参考になるご意見ありがとねー、とちいさく手を振って、青木さんも図書室を後にした。自習した帰りなのだろう。それにしても、相沢たち以外に声をかけてくる人間がいるとは思わなかった。やっぱり、家も図書室もそんなに変わらないかもしれない。
 相沢が戻ってくるまで待つ気だったけれど、急に何もかもがだるくなって帰り支度を始めた。相沢には明日返してくれればいいとメールを入れておけばいいだろう。もともと待っててくれといわれたわけでもないし、俺が時々(連絡をいれるとはいえ)勝手に帰るのは相沢もよく知っている。
 青木さんはうるさくないのに、どうしてだか酔っ払っているちゅー先輩の相手をしたときと同じくらい疲れた。それはたぶん、俺が人付き合いというものを根本的に好いていないせいなのだろう。もう一つ思い当たる理由がないこともないが、間違っていたら青木さんに失礼なので、その考えは心の中のゴミ箱に放り込んでおく。
 まったく、俺は非社交的な人間だ。すこしはちゅー先輩や相沢の社交性を見習った方がいいのかな、なんて考えながら、いつもよりすこし遠回りの道を選んで帰る。
 四月の空の青さはどこか痛々しいくらいで、ちょっと苦手だ。


Fin


20080327thu.u
20080221thu.w

 

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