14.アルコールのこと



 

「ちゅー先輩ってアル中なんですか」
 恭介がひどくまじめな顔で言ったので、思わず笑ってしまった。缶チューハイをひとくちのんで、恭介くんはどうおもう、と逆に訊き返してみる。困ったように眉根を寄せてから、はあ、まあ、と恭介は馬鹿正直にうなずいた。
「……まあ、そう見えないこともないです」
「んーそっかーそーなのねーでもねちゅー先輩アル中違うからダイジョブよ、心配さんきゅっねー」
「その言いかたがまた怪しいんですって」
 エーそうかなーそうでもナイヨーなんてにっこりしながら、また缶に口をつけた。葡萄の味が喉の奥ではじけて、しゅわしゅわと滑り落ちていく。こんなのファンタとかC.C.レモンとか、そういう炭酸飲料とほとんどおんなじだ。ただ、ファンタは体をあったかくしてくれないし、ふわふわいい気持ちにもしてくれない。だからおれはお酒をのむのだ。もしも烏龍茶に同じ作用があるなら烏龍茶をのむだろう。
 アルコール中毒、というほどのんではいない。お酒は好きだけど弱いから、少量で酔っ払ってふわふわできる。なんて経済的な体質だろう。
「きょんきょんはおさけつよそーだねえ」
「俺? 俺は強いですよ」
「あれれ、のんだことあんの? 意っ外ー」
「まあ、多少は。正月とか、親類が集まったときに少し」
「アー、そーですヨネー、そゆときのまされるらしいネー」
 柴っちも最初に酒をのんだのは親類との集まりで酔っ払いにからまれたとき、と言っていたから、おれは経験したことがないけれどきっとそういうものなのだろう。恭介はまじめな子だからそういうどうしようもない状況じゃなければ呑まなそうだ。友達(っているのかなあ、毎回どうでもいいとはいえ気になることは気になるのだ)と酒盛りなんて絶対にしないだろう。もっとも、まじめだけどカタいわけじゃないから、酒盛りが始まっても特に何も言わず一人で淡々とジュース飲んでそうだけど。その図を想像してくすくす笑うと、なんだよこの酔っ払い、と言いたそうな顔で恭介がおれを見た。ごめんねー。あと二時間くらい後にはおれを布団につっこんで寝かせなきゃいけないんだもんね大変だよねー。でもゆるしてね、ゆるしてくれるよね?
「ちゅー先輩はーぁ、アル中ちがうです、よ、おさけすきなの、だけ」
「それをアル中というのでは」
「ちっがーのー。アル中さんはあ、おさけないとダメ! カナシイ! ってなる人でえ、ちゅー先輩はおさけあるとタノシイ! のひとよー」
「……」
 おれのでたらめな答えに、ふむ、と恭介が口に手を当てて考え込んだ。口に当てる、というよりは、軽く曲げた指を唇に押し付けるようにしてうなっている、というほうが近いだろうか。そんな恭介を見つめながら、いいこだなー、とへらりと笑う。口からでまかせをこんなに真剣にきいてくれる子なんて今までいなかった。やっぱりいいこだ、恭介は。まじめだし、やさしいし。恭介はおれにはないものばっかり持っている。おれはおれにないものを持っている人が好きだ。だから恭介のことも藤見さんのことも、お酒と同じくらい好きである。
「きょんくんのやさしーますね」
「よく言われます。でも俺、別に優しくないですよ」
「そかなー」
「そです」
 きっぱりというので、じゃあそうなのかなー、という気になった。本人がそういうのだから他人であるおれの抱く印象は間違っているのかもしれない。でも恭介がやさしくないというならなんといえばいいのだろう。アポもとらずに遊びにきては勝手に騒いだりお酒をのんだりする、迷惑しかかけないおれを放り出さずに面倒を見てくれる人をどう形容すればいいのか、おれにはよくわからない。おれはばかだから。
 恭介は難しそうな本を読んでいる。それ何読んでるの、というつもりだったのに、口から出たのは「それよむのー?」だった。随分酔いが回ってきている。てにをはがわからなくなって、ですますの使い方がわからなくなって、適切な単語と文型を選択できなくなって。おれは酔っ払うとあまりうまく喋れなくなる。けれど、もう半年以上の付き合いになる恭介はそんな状態のおれともきちんと会話が成立する、すごい子だ。
「古今和歌集ですよ」
「こきんわかしゅー」
 おうむがえしに訊くと、そうです、と恭介がうなずいた。
「授業でやったら興味わいたんで、和歌集とか自分で買ってきて読んでるんです」
「へー! きょんちゃん勉強、偉いー」
「偉かないすよ、ただの趣味ですし」
 読み終わったのか、恭介が立ち上がって古今和歌集を本棚に戻す。次は何を読もうか、と選んでいるらしき後姿を眺めていると、ぐらりと視界がゆれた。ああ、座っていられない、頭が重い、横になりたい。まだ中身の残っている缶をわきに置いて、ぺたりと床に手をついた。肘がぐにゃりとしてそのまま前のめりに倒れる。体のかたいおれにはちょっとつらい。上体を横に倒して、ごろりと寝転ぶ。左の頬っぺたを床につけると、つめたさがじわじわとしみてきた。んー、ふわふわする、胃がぽかぽかしてきもちいい、あったかい、眠たい。おなかがあったかいのはいいことだ。うれしいことだ。だって、……どうしてだっけ。おもいだせない。ねむたくて、それどころでは、ない。
「……っ、ううわっ! 先輩、そんなとこで寝ないでください!」
「んー……」
「んーじゃないの! 人の話を聞け! 踏みますよ!?」
 恭介の声が遠くに聞こえる。ごめんね、おれねむいの、だから寝かして。
 布団に運ぶためだろう、よいしょと声がしたと思ったら体が浮いた。持ち上げられるほど軽かったっけ、おれ。恭介は意外と力があるらしい。
「ったく、この人は……」
 呟いている声はうまく聞こえなかった。おれは恭介に迷惑かけっぱなしだけど、残念ながら悔い改める気はこれっぽっちもない。だからごめんね、のかわりに、ありがとう、と心の中で言った。ありがと、甘やかしてくれて。ありがとう、こんなおれを許容してくれて。お酒の作るやわらかくてあたたかい闇に包まれて眠りながら、できるだけそうくりかえした。
 恭介がすこし笑ったような気がしたから、たぶん、すこしは伝わったのだと思う。そういうことに、しよう。


Fin


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