22.謝罪のこと



 

 心配させたお詫びと看病してもらったお礼を兼ねて、大学の近くの高鈴堂という和菓子屋さんでわらびもちを買い(抹茶ときなこをこれでもか、というくらいかけてくれる豪勢なものだ)久しぶりに恭介の家に行った。この一週間というもの、大学で知り合いにノートを借りたりレポートを書いたりしていたので、風邪が治ったあと顔を出すのは初めてだ。こういうときは相手の好きなものを買っていくのが普通だろうけど、恭介はあんまり好きなものも嫌いなものもないようなので、おれの好物にしたのだ。高鈴堂は「食べたことはなくても名前は知っている」というくらいには知られている老舗で、どれもはずれがなくておいしい。今日は天気が悪くて肌寒いから、あったかいお茶と一緒にいただこう。もちろんお茶は恭介に淹れてもらうつもりだ。
「こーんにーちはー」
 子供番組の体操のお兄さんみたいなノリで声をかけ、恭介のいる離れのドアを開ける。不用心なのではなく、単に在室時は鍵がかかっていないだけ、らしい。おれが遊びに来るときはいつも恭介がいるので、不在時にきちんと鍵がかかっているのかは知るよしもない。
 いつもなら勉強中でも襖の向こうから顔をのぞかせてこんにちは、くらいは言ってくれるのに、今日は出てこなかった。いないのかもしれない。せっかくわらびもち買って来たのにどうしよう。中をのぞいてみようかな、という考えがちらりとかすめた。でもプライベートなスペースに勝手に入るのはよくないしなあ。とりあえず靴を脱いで部屋に上がり、小さなこたつ(当たり前だがもう布団はかかっていない、ただの小さな机だ)にわらびもちを置いて、ううん、と悩む。おれ一人で待ってると恭介が帰ってくる前に食べてしまいそうな気がする。
「……不法侵入ですよ、先輩」
「うあっ!」
 いきなり背後から声がかかって、思わずすっとんきょうな声をあげてしまった。勢いよくふりむくと、恭介が手に大きなビニール袋(すぐそばのコンビニのものだ)を手に提げて入り口に立っている。近所にふらっとでかけるだけだから、と鍵をしめていなかったのかもしれない。
「あ、買い物?」
「え、ああ、まあ……」
 今気がついた、とでも言うようにはっとした顔で袋を背後に隠すと(エロ本でも入ってんのかな)「とりあえず奥どうぞ」とおれの肩を押した。奥、というのはいつも恭介(とおれ)がいる、襖の向こうの部屋だ。文机と壁一面の本棚、それからおれ専用の万年床がひいてある。
「わらびもち買って来たからこっちで食べよ。きなここぼしそう」
「……構いませんよ」
 こっち、というのは、入り口と襖の中間にある部屋モドキのようなスペースだ。玄関から入って左側にリゾートマンションや安いホテルに似た簡素な調理台とちいさな冷蔵庫が、反対側の壁に押入れがあり、それからこたつ(兼テーブル)がよくもまあ通路を塞がないものだと感心するような絶妙の配置で置いてある。
「見て見て恭介くん、高鈴堂のわらびもちだよこれ。すごいでしょ」
「あー、これはまた結構なものを……じゃなくて、あの」
「なに?」
 今日の恭介はなんだか変だ。何か言おうとしては口を中途半端に開け、また閉じ、また開け、の繰り返しで、見ていると結構おもしろい。
「いや、えー、……なんでもないです。お茶淹れますね」
「うぃ、最高級の玉露でよろしくー」
「安い緑茶しかありませんよ」
 いつもだったらワガママ言わないで下さい、とか、味わかるんですか、とか笑う場面なのに、相変わらず表情が硬い。何かあったのかな。
「あ、切れてる……先輩、母屋からちょっとお茶持ってきますんで、火見ててもらっていいですか」
「いいよー」
 お湯が沸くまでの間、待ちきれずにわらびもちをふたつつまみ食いしながら、あの異様に重苦しい沈黙はなんなのかなあと考えてみる。親御さんと何かあったのかな。でもお茶っ葉切らしたくらいで母屋に行くあたりそういうわけでもなさそうだ。じゃあ友達関係? でも恭介はそういうことでは悩まなそうだし。まさか、好きな子ができた、とか。ありえねー。いやでも恭介だって男の子なんだからそういう興味があったっておかしくない、というか、ないほうがおかしいはずだ。そういえばさっきの袋には何が入っていたのだろう。エロ本疑惑をまだ捨てていないおれはこっそりビニールを探った。
「……んん?」
 悩殺セクシーポーズなおねえちゃんの写真集の代わりに出てきたのは、大量のお菓子だった。いちごのポッキーとかカントリーマアムとかプリングルスとかじゃがりこ、はてはガンダムや仮面ライダーの食玩まである。意外にアニメも見てるんだろうか。それにしたってこの量をひとりで食べるとは思えないけど。友達でも呼ぶのかな。あ、チロルチョコの塩バニラもある。食べてみたい。
「お待たせしま……何してんですか先輩」
「あ、ねえねえ恭介くん、塩バニラ食べていい?」
「……塩バニラだけといわず全部食ってもいいっすよ」
 全部食べたら友達の分なくなるんじゃないの? と首を傾げつつ塩バニラの包み紙を剥いて口に放り込む。予想より斜め上のカオスな味覚に襲われて悶える。なんだこれ。
 ため息をついた恭介が、やかんの火をとめておれの正面に座った。正座したうえ、きちんと膝のところで手を揃えている。これはただごとではない、とおれもちゃんと座りなおす。
「……先輩」
「んー?」
「あの、なんつうか、……ほんと、すみませんでした」
 何の話かわからず、本気でぽかんとした。
 おれは恭介に迷惑をかけたこそ星の数ほどあるが、謝られるようなことをされた覚えはない。
「なにが?」
「この前、風邪引いてる先輩殴ったり、とか、失礼なこと言ったりとか、して、ほんと……すみません」
 殴られたり、失礼なことを言われたり、という記憶がなかったので、真面目に脳内を検索した。ない。ないぞ?
 懸命に考えて、ようやくそれらしきものを思い出した。殴られた、と言っても平手で頬をはたかれただけだし、失礼なこと、というのはおれを叩いた後に色々言った内容を指しているのだろうけれど、失礼だなんて微塵も思わなかった。たぶんおれのほうが悪かったし。
「ずっと謝るタイミング逃してるうちに余計言いづらくなっちゃって、俺、こんなん初めてで、謝ろうにもなんていえばいいかとかすっげえ考えてるうちにまた謝りづらくなって、えー、あの、その、とにかく本当にすみませんでした!」
 勢いよく頭を下げる恭介に何も言えず、おれはただ間抜けにぽかんと口を開けているしかない。
 この一週間、恭介はずっとそんなことを考えていたのだろうか。どう謝ろうか、おれが怒っていないか、そんなことに心を砕いてくれていたのだろうか。
「え、ええと、おれは全然気にしてないよ? 恭介くんも気にしなくていいよ?」
「……そう、ですか?」
「ですよ」
 やっと顔をあげて、恭介はほっとしたようにうすく笑った。えへ、とおれも笑い返す。
「あ、お茶淹れますね」
「ありがとー」
 こたつにぺたっと頬っぺたをくっつけて、やかんから薄水色の急須にお湯を注ぐ恭介の手を見つめながら、なんとなくまた笑う。内容はともかく(恭介が気にしすぎなだけだし)、おれのことを気にかけてくれて嬉しかった。
 お茶を飲む前から胃の底がじわりとあったかくて、ああ、たぶん、おれは今しあわせなんだな、と思った。


Fin


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