29.緑いろのねこのこと



 

『むかしむかし でも ない いつか
 あるところ では ない どこか
 緑いろのねこが いっぴきで くらしていました。


 ほかのどうぶつがこないくらいの もりのおく
 みずうみのほとり ふとい木のうろのなか なにふじゆうなく くらしています。


 緑いろのねこは おひさまのひかりを 全身でうけとめれば
 それで おなかがいっぱいになったので
 なにもたべずにいても いきていられました


 たまに 雨がふって おひさまがみえなくても
 その雨をのんで のどをうるおせば
 しっぽのさきから まっかなきのみがなったので
 それをたべることが できました


 だから 緑いろのねこは ひとりぼっちでも へいきでした
 だれとも くらしたことが なかったので
 ひとりぼっちが さみしいことだとは しりませんでした。


 たまに ゆめのなかに しらないねこが でてきます
 そのねこは 緑いろではなく きれいなうすい砂いろでした
 そのゆめをみると 緑いろのねこは なんだか かなしい気分になるので、
 きっと ほかのねことあったら もっとかなしくなるだろうし
 じぶんは ここで いっぴきで くらすのが
 とても きにいっているから いいや、と
 ほかのねこを さがしにいこうとは おもいませんでした。


 嵐のつぎのひ 緑いろのねこのくらすみずべに
 カラスが たおれていました
 死んで くさったら いやなので
 しかたなく 緑いろのねこは カラスをたすけました。


 カラスは とりのなかでははぐれものですが
 はぐれものなりに すじをとおすやつなので
 緑いろのねこに なにか してほしいことはないか ききました。
「なにもないよ。うごけるようになったら さっさとかえりな」
 緑いろのねこが そういうので しかたなく カラスは
 せめてものおれいに と じょうほうをあげました。
「あんたによくにたねこのこと きいたことがある
たしか あの あおい星のほうこうに ずうっとずうっといったところだったな
もしかしたら あんたのなかまが いるかもしれないぜ」
 そういって カラスはとんでいきました
 緑いろのねこは まるまって きいていないふりをしました


 つぎのひから 緑いろのねこは まいばん おなじゆめをみるようになりました
 じぶんとおなじ 緑いろのねこが いっぱいいて
 じぶんに おいで、と やさしくわらってくれるゆめです。
 おきると 緑いろのねこは きまって なきたくなりました
 緑いろのねこは ひとりぼっちが いやになってしまったのです。


 15かいめの ゆめからさめた さむい朝 緑いろのねこは 旅にでました。


 緑いろのねこは ずっとあるきました。
 あおい星のほうをめざして ずうっとずうっとあるきました。
 つかれても ねむくても 緑いろのねこは できるだけ あるきました
 はやく カラスのいっていた 「よくにたねこ」のいるところに つきたかったのです。
 よっつのあししかない 緑いろのねこは
 なかなか はやく すすめませんが
 そのぶん がんばって あるきました。
 ずうっと。ずうっと。ずうっと。ずうっと。


 せかいが さむくなって あったかくなって
 あつくなって すずしくなって またさむくなって
 そろそろ またあつくなるころになっても
 「よくにたねこ」は いませんでした。


 つかれきった 緑いろのねこが
 ふかふかのくさにねころんで 眠ろうとすると
 とつぜん くさむらのむこうで こえがしました。
 こわいどうぶつだったら どうしよう と
 緑いろのねこは どきどきしながら そっとようすをうかがいました。
 たくさんのねこが にゃあにゃあとおしゃべりしていました。
 「よくにたねこ」は いなかったので 緑いろのねこは がっかりしました。
 そのうち はちみついろのねこが いいました。
「さいきん 緑いろをした ふしぎなねこが 旅をしてるんだって」
 じぶんのことだ と 緑いろのねこは またどきどきしました
 つづいて ぶちもようのねこが いいました。
「あおい星のほう ずうっとずうっとむこうにいるという なかまをさがしているらしい」
「ねえ もしかして あのこじゃない?
緑いろのねこなんて このせかいに にひきもいるとは おもえない」
 みつかったのかな と 緑いろのねこは からだをすくめましたが
 べつのねこが いやだー、と こえをあげてわらいました
「あのこ いきてるわけないわ わたし ちゃんと すてたもの
だれもいない ずうっとずうっととおくの もりのなかのみずうみのそば」
 みおぼえのある うすい砂いろのねこでした
 けなみをととのえながら 砂いろのねこは つづけていいました。
「緑いろのねこなんて きいたことない きもちわるいったらない
あんな子 いらないっていわれて とうぜんよ!」


 緑いろのねこは 走ってにげました
 てあしがぼろぼろになっても かわがむけても
 まっかな血がふきだしても ぜんぜんいたくありませんでした
 いたくないのに 緑いろのねこは 泣きながらにげました


 きがつけば 緑いろのねこは
 じぶんがくらしていた みずうみのそばに もどってきていました
 つかれきった 緑いろのねこは ほとりにたおれこんで
 みっかみばん 泣いて、
 みっかみばん 眠って、
 なのかめの朝 緑いろのねこは あさひをみながら きめました。


 もう だれかと いっしょにいようとするのはやめよう。
 ひとりぼっちでも いきていけるのだから ひとりでいよう。
 もう だれかに きたいをするのはやめよう。
 きたいが だめになったとき また みっかみばん泣きつづけるのは
 いたむあしで あるきつづけるより、
 ひとりぼっちで くらすより、
 ずっとずっと いたいから、もういやだ。




 そういうわけで、緑いろのねこは ひとりぼっちで いきています。
 これまでも、これからも、ずっと ずっと ずっと ひとりぼっちです。




 おわり』




「……こ、れ、は、無いわあ……」
「そーお?」
 B5サイズのスケッチブックをめくり終わったよんちゃん(おれと同じ美術サークル所属、一年のとき語学クラスが一緒だった)が、空いてしまった数ページの白紙部分を見つめながら、呆れたような顔で呟いた。人の作品に対して「これは無いわ」はひどいと思う。中高大と計九年も美術部をやっているよんちゃんと違って、中学校の美術さえまともに受けていないおれに作れるのは所詮この程度のものだ。
 おれの所属している美術サークルが今度やる企画展のテーマは「救い」らしい。救い、救いねえ、と考えた結果、おれなりの「救い」を絵本にしてみたのだが、感想を求めたところ一言でばっさりと「一般的にこれはバッドエンドだろ」と斬られた。突然ドイツ語が休講になって暇だというからおれの作品を見せてあげたというのに、よんちゃんはひどいことばかり言う。
「お前、よくこんなカワイイ絵でこんな後味悪い話作るよな。詐欺じゃねえの」
「いやーんカワイイなんて照れちゃーう」
 棒読みで答えながら、ポケットからブルーベリーガムを取り出し一枚口に放り込む。甘ったるい匂いと、その匂いをそっくり嗅覚から味覚へトレースしたらこうなるんじゃないかと思わせるくらいべたつく味。甘すぎる、と嫌がる人も多いけど、おれはガムの中で一番これが好きだ。
「お前じゃねえよ。男にカワイイとか言わねえよ」
「つーかエグいなんてひどいよよんちゃん。お子様の情操教育に最適だと思うよ?」
「グレるわこんなん読み聞かせたら!」
 よんちゃんのツッコミはテンポがいい。おれがわざとボケ続けているのを知ってか知らずか、律儀にすべてツッコんでくれるからよんちゃんと喋るのは結構好きだ。
 ツッコミ疲れたらしいよんちゃんがため息をついて、スケッチブックを振ってみせた。白無地の表紙に絵の具で描いた緑いろのねこと、やる気がないのかデザインなのかギリギリ判断のつかないようなロゴを並べてある。絵本を製本するのがめんどうだったから、スケッチブックをまるごと絵本にしたのである。怒られても「そういうデザインなの」と押し切るつもりだ。
「……もしかして、ちゅーの性格が時々ぶっ飛んでるのって、この『緑いろのねこ』みたいな過去があるとか?」
「実はそうなんだよね」
「……そうだったのか」
 シリアスぶった顔でうつむいてみせると、よんちゃんもつられて真剣な顔になった。本質的にいい人なのだ。おれの周りには恭介といい柴っちといいよんちゃんといい、いい人がいっぱいいて本当に嬉しい。
 このまま放っておくとよんちゃんが本気で謝ってしまう気がしたので、悲劇の主人公顔を維持したまま、続けて言った。
「って言ったらおれの肩書きが『美少年』から『薄幸の美少年』になると思わない?」
「なんねーよ! 自分で美少年とか言ってんじゃねーよ図々しいな二十歳! ああくそ茶化して悪かったと思った数秒前の自分をフルボッコにしてえええ!」
 スケッチブックを机に置いて頭を抱え、大袈裟にうめいてしゃがみこむ。よんちゃんをからかうとリアクションが大きくてとてもおもしろい。おれに何度騙されても変わることなく言うことを信じてくれるあたり、将来は変な宗教とか押し売りにつかまるんじゃないかとこっそり思っている。
「とにかくテーマに沿ってないからさ、もうちょっと……全直しとはいわねえけど、わかりやすくしてくれよ」
「ふぁーい。貴重な国民の皆様のご意見を参考にぃ、よりよい政治をめざしまあす」
「俺の話聞く気ないんだな?」
 そっぽを向くと、頭の両側をてのひらではさんでぐらぐら揺すられた。うおあ、のーみそゆれるー。
 直せと言われても、おれとしては充分テーマに沿った作品のつもりだから、直すところが見つからないのだ。
 ご飯を食べる。眠る。それだけを繰り返していれば生きていられる。他人はいればいたで楽しいけれど、いなくても死なない。みんないつかはいなくなるから、過剰な期待をしてはいけない。それに気づいたとき、おれは救われた気分になった。
「締め切りまでまだあるし、そこまで言うなら一応持って帰っときますよん」
「おー。期待してんぞ」
 そろそろ次の授業があるから、と立ち上がり、部室から出て行こうとしたよんちゃんがふと真顔になった。
「で、どうなの? マジだったりすんの?」
「えー?」
「いや、結局お前嘘だとも本当だとも言わなかったし、どうなのかなーと」
 よんちゃんらしくない鋭い指摘だ。けれど、おれみたいな不誠実な男にそんなことを正面きって訊くなんて、やっぱりよんちゃんはよんちゃんである。
 手をひらひらさせながら、「まっさかー」と首を振ってみせた。
「ありえないっしょ。フィクションですよ、フィクション」
「だよなー」
 ほっとしたように表情を緩ませ、今度こそよんちゃんは出て行った。真面目に心配してくれる人を騙してもなんとも思わないあたり、おれは性格が悪い。
 音を立てて閉じた金属製のドアにむかって、一人で笑った。
「……だっておれ、母親さん探しに行ってないし、ね」



Fin


20080720sun.u
20080716wed.w

 

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