30.七夕のこと



 

 神様だか誰だか忘れたけど、よほど織姫と彦星を会わせたくない誰かのせいか今年の七夕も曇りだ。
 そういえばうちの大学にある「カップル撲滅委員会」というサークルでは、「短冊に『織姫と彦星が会えませんように』と書いて吊るす」という行事があるらしい。そんな暗いことしてるから恋人が出来ないんじゃないかなあ、と、部外者としては思う。
 そんな話をしたら、恭介は「俺、織姫と彦星の話聞いたとき泣きましたよ」と笑った。
「え、うそ」
「こんな格好悪い嘘ついてどうするんですか。ほら、二人は一年に一度しか会えないじゃないですか。で、その話聞いたとき、家に来てた年上のいとこが『あんたが一年に一度しかお父さんとお母さんに会えないみたいなもんよ』って言ったせいで、俺大泣き」
「あはは、ちっちゃい恭介くんかわいいなあ」
 笑いながら、ああ恭介はあの子と一緒でまっとうに、そして幸せに生きている子なんだなあ、と再確認した。
 父親とはもう二度と会えないし、母親には会いたくもない。祖父と祖母には少し会いたいけど、でも泣くほどじゃない。一年に一度会えるんならちょっと嬉しいな、というていどだ。
 会えなくなることが泣くほど悲しい人がいない生活も、そんなに悪くない。
「じゃ、ちっちゃい恭介くんには絵本を読ませてあげよう」
「わあい、すごくちっちゃい先輩どうもありがとう」
 からかう言葉とともに絵本を差し出すと、笑顔のままからかい返してきた。恭介もなかなか性格が悪くなった。おれのせいだろうか。いや、おれに慣れてきたんだ、と思うことにしよう。
 恭介が絵本を読む間、おれは笹に吊るす短冊を書くことにした。おれのために恭介がわざわざ用意してくれたらしい。カラフルな短冊を前にすると、まだ祖母が生きていたころに祖父の家でやった七夕を思い出して懐かしくなった。
 何を書こうかな。サインペンをはずませながら、思いつくまま短冊に書きなぐっていく。
 今年は何事もなく進級できますように。お酒にもうちょっとくらい強くなりますように。タダでお酒がのめる機会が増えますように。めんどくさいレポートが出ませんように。宝くじあたりますように(買ってないけど)。ちゃんと謎を解かずに延ばしてばっかの海外ドラマがちゃんと完結しますように。藤見さんが健康ドックで何もひっかかりませんように。あとおれも。恭介くんも。毎日適当に楽しく遊んで、それなりに楽しく過ごせますように。核心を避けるように、ふわふわしたお願い事を書いては笹に吊るす。いいのだ。おれは適当に生きて適当に暮らしている、骨の髄まで適当な人間だから、自分と真っ正直に向き合うなんてめんどうなことは、しない。
「……ありがとうございました」
「あー、はーい」
 十五枚くらい書いたところで、恭介が絵本を読み終わった。おれの隣に座って、一緒に短冊を書き始める。感想きくのもどうかなあ、へんかなあ、と迷っていると、恭介のほうから口を開いた。
「なんか、さみしい話ですね」
「そーお?」
「俺はどっちかっていうとハッピーエンドのほうが好きです」
「そっかー」
 にっこり笑う。やっぱりね、そういうと思った。恭介は間違ってもこの絵本を「救いがある」とは思わないだろう。それでいい。恭介にわかってもらおうなんて思ってないから。逆に「いい話ですね」なんて言ったりしたら、もうおれは二度と恭介の家に来なくなっただろう。上辺だけ理解したふりをして近づいてくる人が、おれはだいっきらいなのだ。
「なんていうか、……幸せになってほしいです」
 そう言いながら、恭介はじっとおれの目を見つめた。つられて見つめかえしながら、全て見透かされたような気がして鼓動が速くなってくる。
 恭介の携帯が鳴るまで、おれたちはふたりで黙ったまま互いの目をみていた。
 強いわけでもないのに何故か目をそらせなくなる、妙な視線。出会ったときと同じ、日本刀みたいな目だ、と思った。怖くないけど背筋が伸びるし、迂闊に動けない。
「……恭介くん、鳴ってるよ」
「そっすね」
 机の上にあった携帯をとって、「あ、母さんか」と呟き電話に出る恭介は、すっかりいつもどおりの顔に戻っていた。
「先輩、そうめん嫌いですか」
「え? えーと、好きだよ」
「じゃ、母屋から持ってきますんで、一緒に食べましょうか」
「あれ、おれの分あんの? 晩ご飯でしょ?」
「晩ご飯だから先輩の分もあるんじゃないですか」
 きょとんとしていたら、何言ってるんですか先輩は頭に脳味噌じゃなくて綿菓子でも詰まってるんですか、とよくわからないせりふで馬鹿にされた。恭介の家でご飯を食べるのは初めてなんだから仕方ないじゃないか。正確にいうと、恭介かおれが作ったものではないご飯を食べるのが初めて、だ。
 ぱたん、とドアが閉じて、恭介が出て行く足音を聞きながら、いいのかな、これは、と首を傾げる。ただでご飯、しかも一緒に食べてくれる相手がいるなんて、これは喜ぶべき事態のはずだ。いいに決まっている。これが柴っちや桜ワンピさん相手だったら、おれは首を傾げるどころか喜んで「ネギ! ネギつけて! っていうか流そう! 超流そう! 室内だけど!」とか大騒ぎしていたと思う。恭介相手だと、なんだかいつもと勝手が違ってきて困ってしまう。
「……うーん」
 考えるのがだるくなってきたので、気をそらすために恭介から返された「緑いろのねこ」をもう一度開いてみる。ぱらぱらめくっていると、白紙だったはずの後半ページに何やらつけたされているのを見つけた。
「んん?」




『しばらくして 緑いろのねこのところに いつかのカラスがやってきました
 カラスは 緑いろのねこがいつもよりかかる木に
 だまって とまっているだけで なにもしませんでした


 雨がふったあるひ 緑いろのねこは 木のうろのなかに カラスをよびました
 雨のせいで わるいびょうきにかかって
 死んで くさったら いやだから しかたなく でしたが
 カラスと いっしょにねむるのは
 ふしぎと わるくないきぶんでした
 雨があがっても カラスは 緑いろのねこと
 いっしょに 木のうろで 眠るようになりました
 どちらも ずっといっしょとは いいませんでしたが
 そうなるのが わかりました。




 そういうわけで、緑いろのねこは ひとりぼっちでは なくなりました。』




 絵が描けなかったのか、文字だけでそう書かれていた。走り書きの文字は崩れていて、もしもひらがなに筆記体があればこんな風だっただろう、と思わせるような、なんとか文字だと判別できる程度の形を保っている、というしろものだ。一年のころ授業で見た、江戸時代の崩し字とかいうやつに似ている気がしないでもない。
(なんか、さみしい話ですね)
(俺はどっちかっていうとハッピーエンドのほうが好きです)
 恭介の声がよみがえる。
 おれは自分が笑顔を維持できなくなっているのに気づかないふりをして、無理矢理口角をあげた。
 たぶん、恭介に他意はない。この絵本に隠れているものに気づいたはずがない。ハッピーエンドが好きだから、ちょっといたずら心を起こして書いてみただけのはずだ。消せるようにシャープペンシルで書かれているのがその証拠。だ。きっと、そうだ。
「ええ……恭介くん意外と字ィ下手だなあ……」
 笑ったつもりだったのに、声が震える。
 問題は、心の一番やわらかいところに不意打ちで踏み込まれた(ような気がした)ことではない。
 それを不愉快だと感じていない自分が、心底怖かった。



Fin


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