33.文化祭準備のこと



 

「メンバーしょくーん! 文化祭まであと何日か言ってみたまえぇ!」
 拳を振り上げ、楽しそうに叫んでいるのは今年のレジ俺代表(通称ボス)、赤井である。オレンジのサングラスをカチューシャのようにかけ、机に足をかけてのシャウトだ。参加当初はかなりとまどってやっぱりやめとけばよかったと軽く後悔したものだったが、このお祭りハイテンションにもかなり慣れてきたので、もう動じることはない。教室のそこかしこで分かれて作業をしていたレジ俺メンバーが、同じように拳を突き上げて叫んだ。一緒に作業していた青木さんと狗飼さん(同学年、青木さんの友達なのでそこまで重度の変人ではない、はず)につられて俺も同じポーズを取る。芝居がかっていてちょっとアホっぽいが、やってみると意外と楽しい。
「あと七日です、ボス!」
「オーケー! 活動寫眞喫茶、絶対成功させるぜー!」
「イエス、ボス!」
「目指せ、売り上げ去年越え!」
「イエェス、ボス!」
 特に放送部勢のノリがすさまじい。レジ俺代表を「ボス」と呼びはじめたのも放送部らしい。あまりにも馴染んでいるから、てっきり伝統なのだと思っていたら、レジ俺創立者に「自分のころはそんなのなかった」と面白がられた。恐ろしいことに、変人集団レジェンド★オブ★俺達は今なお進化を続けているらしい。六年目でこれじゃ十年目とかはものすごいことになってるんじゃなかろうか。凡人の俺ではものすごいことの中身は全く思いつかないが。
「それにしても暑いねー。なんかつめたいの買ってこようかな」
「あ、さっき自販機が目ぼしいもん全部売り切れてたって誰か言ってたよ」
「うえー。みんな考えることおんなじかあ……」
 狗飼さんが桃色の小さな扇子でぱたぱたと胸元に風を送りながら、おおげさに顔をしかめた。クラスTシャツに汗がしみてところどころ色が濃くなっている。彼女は滅法暑さに弱いらしく、作業のときはよく日の当たらないところに陣取っている(同じ小物班なので、必然的に俺たちも日陰で作業している)。
「髪結んだらいいんじゃない」
「そっか! 辻くんあったまいーい」
 世紀の名案を聞いた、とでも言いたげに目を輝かせた狗飼さんは、早速ゴムを出して肩過ぎのセミロングを結わきはじめる。同じくらいの長さの青木さんも暑いんじゃないか、と「青木さんは結ばなくていいの?」と聞いてみたが、わたしはいいやと首を振っていた。そういえばみつあみがデフォルトだったのに、最近はいつも髪を下ろしている。確かにこっちのほうが似合っているし、女の子は時に暑さ寒さを我慢してでも外見を優先する生き物らしいから、あまり俺が口を出すことでもないだろう。
「よー、進んでるか小物班」
 差し入れらしきスーパーの袋を持って、相沢が演劇部のリハーサルから戻ってきた。俺はクラスと天文部とレジ俺だけだが、相沢はさらにいくつか手伝っているらしい。ちなみに、演劇部からは特別ゲストとして誘われたのだそうだ。人気者というのもなかなかつらいものがあるな。精一杯のいたわりを込めて「お帰りくださいませご主人様」と出迎えてやる。
「え、何? 俺、恭介に恨まれるようなことした?」
「あ、間違えた。お帰りくださいませ王子様」
「間違えたのそこじゃないと思うよ俺。ていうかどうした恭介、暑さでやられたか?」
「……まあ、うん、忘れろ。どうかしてた」
 青木さんたちが肩を震わせて笑っている。相沢も笑いながら、なんだお前らー、と袋から出したペットボトルで軽く二人の頭をこつんと叩き、俺の隣に座った。
「飲み物好きなの取ってー」
「え、いいの?」
「どーぞ。先に言っとくと俺のおごりじゃなくて、狗飼ちゃんのお兄さんから託されたヤツだからねー。あ、『美雨はこれが一番好きだから渡してやって』って言われたやつ、はいこれー」
「わ、ありがとー」
 テル兄ぃ来てたんだー、とそれはそれは嬉しそうにペットボトルを受け取る。青木さんの友達だからきっと普通、とまではいかずともそこまで変な子でもないのだろうと思っていたのだが、これは重度のブラコンくさい。やはりこの集団に普通の子なんていないのだろう。何故俺のようなごくごく普通の男が混ざっているのやら。
「あと、クラスの方でもなんか呼ばれてたみたいだよ。行ったほうがいいんじゃね?」
「え? ……うわほんとだ! 着信履歴やばいよお……桜子ちゃん辻くんごめんっ、いってくる!」
 兄セレクトのペットボトルを大事そうに抱えて、狗飼さんは走っていった。仕事を任されるのもブラコンなのも構わない(仕事といっても紙でコースターやメニューを作るだけの単純作業だ)が、ミルクティはあんまりシェイクすると空気を含みすぎて大変なことになるんじゃないかな、と余計な心配をしてしまった。
「青木さんはどれにする?」
「えーと、あ、マックスコーヒー! 取ってー」
「……こんな暑い日に?」
「だって好きなんだもん」
「や、いいけど」
 青木さんはにこにこと嬉しそうにマックスコーヒーの蓋を開けている。確かに俺も嫌いではないが、それは冬の帰り道にホットを飲むから美味しいのであって、あのコーヒー牛乳にさらにガムシロップを足したようなものすごい甘さの液体を夏の盛りに飲もうという神経はわからない。余計に喉が渇きそうだ。飲んでみたかった新発売の紅茶があるのを見て一瞬迷ったが、結局飲みなれた緑茶をとって袋を相沢に返す。
「もうすぐだねー、なんかすごいあっという間」
「だなあ。まだまだ、と思ってたら時間が足りなくなってるし」
 あと一週間もすれば、もう風見鶏祭本番だ。準備しても準備してもやるべきことが山のように積まれていて、なかなか終わらない。特にレジ俺は企画規模に対して人数が少なめなので一番忙しい。けれど、こういう忙しさは悪くないものだ。学校内では色とりどりのクラスTシャツや衣裳を着た生徒が走り回り、あちこちで段ボールや机が山積みになっている。少しずつ空気がお祭りの色を濃くしていくのを肌で感じながら汗だくになるのも、学生らしくて悪くない。なんだかんだで俺も衣裳合わせをしたときは少しテンションが上がってしまった。昔から何に関しても平凡だから、余計にこういう非日常的な空気が好きなのかもしれない。誘ってもらえて良かった。
「青木さん、レジ俺誘ってくれてありがと」
「え? え、ええ、いやっ、別に……」
「何赤くなってんのよこの子は」
「相沢、オネエ言葉気持ち悪い」
「さっきのお前も充分気持ち悪かったよ」
 そう言いながら額を指ではじいてきたので、お返しにがつっと頭突きをしてやる。攻撃されたところをさすりながら「おまえ恐竜かよ」と相沢が小声でぼやいた。素直に石頭って言ったらどうだ。
「そういやお二人さん、当日どうするの?」
「俺? 俺は一般公開のときは多分いとことか来るから、一日目に遊んどく予定」
 いとこ、と言っても、ミヅ姉や優真ではない。ちゅー先輩だ。
 俺がコスプレ喫茶店に参加すると言ったら「テストあっても絶対行く!」と目を輝かせて宣言されてしまったのだ。そのあとに「メイド? ナース?」と訊かれたときはさすがに呼ぶのやめとこうかな、と思ったが、こういうイベントは先輩と一緒の方が色々と楽しそうなのでなんだかんだで約束してしまった。オバケ屋敷でヒャーヒャー騒いだり、縁日でムキになる姿が容易に想像できる。
「あ、わたしも。中学のときの友達が来るんだ」
「じゃ、一日目は三人で回る?」
「いいねいいねー」
 ふと思いついて提案してみる。三人とも活動寫眞喫茶のシフトを同じくらいの時間に入れているから、自由時間もかぶっているはずだ。青木さんは嬉しそうにのってくれたが、相沢は外人のように大袈裟な身振りでノーノーとやってみせた。
「悪いけど俺はパス。お二人と違って人気者なんだよねん」
「はいはい」
 一体何団体を手伝っているやら、想像もつかない。それはそれで楽しそうだが、遊ぶ時間はちゃんとあるのだろうか。
「さて、一息ついたところで、差し入れあっちにも配ってくるわ」
 さて、と言うと同時に、一瞬相沢の顔が曇ったように見えた。しかしどうかしたのかと訊く隙もなく、すっといつもと同じ人好きのする笑顔に戻ってしまったので、結局何も言えずに手を振るしかなくなる。
「おー、いってらっしゃい」
 おう、と笑ってビニール袋を持って立ち上がり、相沢が赤井の方へ行った。「天からの恵みだー! ひれふせものどもー!」とまた楽しそうに叫んでいる。買ったのお前じゃないだろうが。なんでお前が偉そうなんだ、赤井。
 赤井と一緒に偉そうなポーズをつけている姿はすっかりいつもの相沢だった。さっきのは多分、疲れてるんじゃないか、という思い込みからきた錯覚だったのだろう。
「……っていうか、いいの?」
 相沢に気を取られていたせいで直前の話題が何だったか思い出せず、「なにが?」と間抜けに聞き返してしまった。
「や、わたしとふたりで回っても面白くないかな、って」
「なんで」
「なんでって……」
 青木さんが困ったようにうつむいた。仲の良い友達と一緒に文化祭を回って面白くない高校生なんてごく少数だと思うのだが。一人で回っても多分楽しめるが、どうせなら誰かと一緒の方が文化祭という感じがしていい。
「青木さんこそ俺と二人でいいの?」
「え、うん」
「じゃあいいんじゃない」
 紙のコースターを台紙から切り抜きつつ、真面目な顔で言った。
「俺はとても友達が少ないので、青木さんが仲良くしてくれるのがとても嬉しい」
「あはは、真顔でそんなこと言うくらい少ないんだ」
「俺の友達、相沢と浅木とあと一人か二人くらい。女子は青木さんだけ」
 片手の指だけでおさまるよ、と笑って右手を振ってみせながら、ふとちゅー先輩のことを考えた。
 よかったらあの子の友達になってやってください、と藤見さんに言われてから、既に季節がひとつ変わった。それなりに色々あったが、俺と先輩の関係が何か変わったかと問われればノーと答えるしかない。相変わらず先輩は俺の家に来ては酒を呑んだりどうでもいいような話をしたり星をみたりしているし、俺もそれなりに楽しくやっている。最近は家で一緒に晩飯を食べることも増えてきた。
 けれど、先輩は相沢たちと何かが違う。やっていることは大体同じのはずなのに、うまく言葉に出来ない程度の微妙な違和感があるのだ。
 先輩と俺の関係を考えるとき、いつも薄い透明の膜を思い浮かべる。セロファンではなくゴム製の、押すとどこまでも伸びていく膜だ。隣に座っていようが相手に触れようが顔をつき合わせて笑っていようが、俺と先輩はその不可視の膜に遮られているから、これ以上近づくことはできない。地面に引いた境界線よりももっと強固に俺たちを隔てる何か。その何か、の正体は全くわからない。藤見さんに「友達になってやってくれ」と言われたとき、俺はなんと答えたんだったっけ。そこに答えがあった気がするのだが、思い出せない。
「どうしたの?」
「……、いや」
 友達の数を数えた右手を見つめる俺に、青木さんが首を傾げる。誤魔化すように手を開いたり握ったりして、安心させるように少し笑ってみせた。
「なんでもない」
 俺が左手の指を折る日は、いつまでも来ない気がした。



Fin


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