「かっ……こいい」
「なんすかその『やだ超不本意』みたいな顔」
思わずつぶやくと、呆れ顔の恭介にメニューで頭をはたかれた。痛い痛い。
ここは『活動寫眞喫茶 オレヲレ座からの招待状』だ。一人で知り合いゼロの文化祭を回っても面白くないので、さくさく恭介のいるところへ来たのだが、本人は少し嫌そうな顔をしている。
「……あんまり見ないで欲しいんですが」
「やだよ超見るよ。こんな面白いのめったに見られないし」
「面白いって言っちゃってますよ。本音出てますよ」
「えーでも超かっこいー。ってかなんで眼鏡? いつもコンタクトなの?」
「いや、伊達です。雰囲気出るからかけろって言われました」
眼鏡(レトロなデザインの、歴史の教科書に載っていそうなもの)をおしあげ、恭介は肩をすくめた。そうしているといつもの恭介だ。
それにしても、学生帽に袴、スタンドカラーのシャツ、という書生スタイルがやけに似合っている。確かに部屋は和風だし、着流しで出迎えられても違和感ないんじゃないかと考えることはあったが、いざ本物を見てみると想像以上に馴染みすぎていて逆にちょっと面白い。
「恭介くんちょっと『絶望した!』って言ってみて」
「何でですか」
「や、似てるから……」
一ヶ月の半分以上を漫画喫茶で過ごしているおれと違って、漫画をあんまり読まない恭介には伝わらなかったらしい。週刊雑誌立ち読みしてるって言ってた気がするんだけど、マガジンは読んでないのかなあ。先輩はよくわかりません、と顔に書いて首をかしげている。髪の長さ以外は結構似てると思うんだけどこれ。ああああ誰かに言いたい超言いたい。
「かっこいい恭介くん、オススメ何?」
「……ゴーヤと納豆のミックスベリータルトとろろがけポン酢風味」
何ですかそのご当地名物ごってり盛ってみました、みたいな創作料理。罰ゲーム以外の何物でもない。
「え、怒ってんの?」
「別に」
恭介はスタッフルームらしきところへ引っ込んでしまった。それを見ていたらしき桃色の袴とブーツを履いた女の子が「すみません」ととことこ寄って来て、代わりに注文をとってくれる。伝票を書いて「以上でよろしいですかー」とおれの顔を見た彼女が、あ、と目を丸くした。
「あれえ、もしかしてちゅーさんですか?」
「え? あ、ああ、そだよー。天文部の子?」
「違いますけど、辻くんがよく話してる人っぽかったから、そうかなーって思いました」
「あはは、中学生みたいなやつが来るって?」
というか、文化祭だから中学生のいとこが来るとでも言っていたのかもしれない。しかし、予想に反して彼女はぶんぶんと大げさに手を振り、「違います違います」ときっぱり否定した。
「茶髪で顔キレイで超かっこいい人、て聞きましたよう。あと喋ってると楽しいーとか、よく一緒に遊んでる、とか。仲いいんですねー」
「はいはい狗飼さん余計なこと言わない!」
いつのまにか戻ってきていた恭介が、おれと彼女の間に壁を作るようにメニューを差し入れてきた。そんなことされても喋れることには変わらないと思うけどなあ。恭介の目つきの悪さ三割増な怖い顔にもひるむことなく、のほほんと答える。
「あれーなんだ辻くん聞いてたの? だめだよ職務放棄しちゃ」
「いや……はい。申し訳ない」
「わたしケーキセット持ってくるから、辻くんここで喋ってなよー。仲いいんでしょー?」
「いや、狗飼さん、相沢が抜けた上俺までサボるってのは……」
「大丈夫だよお、わたしもテル兄ぃ来たとき喋ってたもん。じゃっ、ごゆっくりー」
「ていうかさっき自分で職務放棄しちゃ駄目って言ったばっかりですけど狗飼さん!」
恭介の話を聞かずに、彼女は去っていった。恭介もかなりマイペースだと思っていたけど、あの子には敵わないらしい。はあ、とため息をついて、恭介が隣に立った。
「かっこいい?」
「……」
「喋ってると楽しい?」
「楽しいわけないでしょうこの状況で」
ニヤニヤしているとまたメニューで頭をはたかれてしまった。表情が変わらないからわかりにくいけど、もしかしてこれは照れてるんだろうか。
「おれのことそんな風に言ってたんだねえ」
「まあ、はい」
「意っ外ー」
「……」
からかっていると、ぐっとおれをにらんできた。顔すごいことになってるよ恭介。まあ、おれが最初恭介を怖いと思っていたのは顔じゃなくて、もっと別の部分(うまく説明できないけど)なので、別ににらまれてもなんとも思わない。中学のころは隣町(おれの住んでいた篠方町よりちょっと都会)からわざわざ出張してきた不良に絡まれたりとかしてたから、恭介程度の威嚇じゃ効かないのだ。
「俺のせいで先輩が悪く思われんのが嫌なんですよ」
「へ」
予想もしなかった答えに、思わず間抜けな声が出た。
「なんかあったの?」
「ありました」
「おれ知らないんだけど」
「教えてないですし」
「え、なんで」
「……なんとなく」
ぼそりとつぶやいて、それきり恭介は黙ってしまった。どっちかというと、おれとの付き合いで評判が落ちるのは恭介のほうじゃないだろうか。未成年が飲酒してるように見えるし我侭言い放題だし。
もう少しつっこんで訊いてみようかどうしようか、と迷っているうちに注文したものが運ばれてきて、タイミングを逃してしまった。仕方なく黙ったままケーキに手をつけたものの、とても気まずい。
半分くらいまで食べたところで放送部制作のドラマ(いや、喫茶店のコンセプト的には「活動寫眞」かな)が始まった。うちの放送部は結構な強豪だ、と在学中から聞いてはいたものの、「放送部が強い」の意味がよくわからず一度もドラマを見に行ったことがなかった。ずいぶん勿体ないことをしてしまった。真剣に見入っていると、恭介が他のお客さんの邪魔にならないように小声で耳打ちしてくる。
「この上映終わったら、俺シフト終わりなんで」
「あ、うん」
「行きたいところありますか」
「んー。とりあえずおばけ屋敷全制覇しない?」
いいですよ、と笑った恭介はすっかりいつも通りだった。もう一度さっきの話を訊いてみようか、と思ったけれど、また気まずくなるのもいやなのでやめておく。恭介が言いたがらないんだから、無理に訊くこともないだろう。
上映後、貴重品を取ってくるという恭介と、一番近いお化け屋敷(喫茶店の三つ隣だった)の前で待ち合わせる約束をして外に出た。どこの教室も盛況で、壁にもたれているとひっきりなしに声をかけられる。段ボール製の看板を掲げて沢山の生徒が歩き回っている光景は、なんだかパレードみたいで見ているとおもしろい。
早く来ないかなあ、と恭介の消えた方の廊下に目を向けると、それらしき書生姿を見つけた。あ、と手を振るより先に、浴衣の女の子に呼び止められて恭介は立ち止まる。
見覚えのある子だった。
(やー、こんな可愛い彼女がいたなんて、恭介くんやるじゃん)
(やめてくださいよ……)
半月ほど前に会った、恭介の彼女(たぶん)だ。ゆるいウェーブがかかった肩までの髪に、青い朝顔の造花をつけているのがみえる。格好からしてクラスでは縁日をやっているのだろう。どうでもいいことばかりをやけに冷静に考える。
「き、」
恭介くん、と普通に呼ぼうとしただけなのに、全然声が出ない。
すぐそこにいるふたりが地平線よりも遠い。
どうしよう、という言葉だけがぐるぐる回る。どうしよう。どうしよう、どうしよう。
どうしよう。恭介がとられる。
「やっべ……」
うまく笑えない。暑いくらいの夏日なのに、足が震えてしゃがみこんだ。
壊れかける表情を、気合と根性で笑顔に作り直す。笑え、笑え、おれはいついかなるときでも笑ってるべきなんだから。笑ってたほうが何かと得なんだから。泣いても怒ってもなんにもならない。だから、笑え。
「ちょっ、先輩? ちゅー先輩?」
顔を上げると、恭介がすぐそこにいた。彼女は別のところに行ってしまったのか見当たらない。それだけでひどく安心する自分にぞっとした。
「あ、う、な、何?」
「いや、戻ってきたら先輩がしゃがみこんでたからどうしたのかと……すみません、こんなに待たせるとは思ってなくて。喫茶店で座っててもらえばよかったですね」
「や、ぜ、全然。そんな待たせたってほどの時間じゃないじゃん。ほ、ら、今日思ってたより暑かったから、ちょっとぼーっとしちゃって、ほんとごめんね心配させちゃって」
「あ、じゃあ俺ちょっと冷たいの買ってきます。待っててください」
「うん、ありがと」
どうにか笑顔を保ったまま手を振る。書生姿の背中が廊下を曲がるのを確認してから、深く息を吐いた。暑さでぼうっとするどころか、寒いときみたいに足が震えている。自分が怖い。
(おれ、今、恭介くんとられるって思った……)
恭介とあの女の子が喋っているとき、おれは間違いなく「とられる」と思った。とられる、なんてばかみたいだ。第一おれのものじゃないじゃないか。恭介に仲のいい友達がいようが、彼女が出来ようが、おれには関係ない。だっておれたちはただちょっと仲のいい先輩と後輩で、だから、いつかは会わなくなる。
内臓が締め上げられるみたいに痛い。心臓がバターになるんじゃないのかってレベルでがたがた揺れていて、もしかしてここで死ぬかも、とわりと本気で思った。静かに長く息を吸って、吐いて、恭介が帰ってくるまでになんとか元に戻ろうと努める。
「……ばかだなあ、おれは」
こんなふうに苦しくてみっともない思いをするのがいやだから、誰かを好きになったりしたくなかったのに。
Fin
20080904thu.u
20080901mon.w
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