42.花火のこと



 


 今日は朝から静かな雨が降っている。考えるまでもなく、行くはずだった花火大会は中止になったことだろう。
「行いが悪かったんじゃないですか」
 恭介はいつかと似たようなセリフを言いながら、少し人の悪い笑みでおれを出迎えた。おれの行いがよかったことなんてありませんよーだと舌を出してみせると、はいはい知ってますよ、と笑いながら頭を撫でてくれた。髪のあいだに空気を通すようなわしゃわしゃとした指の動きが気持ちよくて、おれの機嫌はあっさりと上向きに修正される。恭介は撫でるのがとてもうまい。すくなくとも、これ以上ないくらいおれ好みのやりかただ。酒とつまみでふくれたコンビニ袋を渡して、「おじゃましまあす」と小学生みたいに声を張り上げた。
 恭介の部屋に来るのは一週間ぶりだ。長いか短いかで言えば後者に入るとは思うけど、なぜだかずいぶんと久し振りに思える。従妹が居候しているからか、前より片付いていた(といっても元々きっちり整理整頓された箱みたいな部屋だったので、従妹が来たからというよりは散らかすおれが来なかったというのが大きいのかもしれない)。
「あれ、誰か来てるんじゃなかったの?」
「従妹ですか? 母屋ですよ。俺が昔使ってた部屋にいます」
 従妹(ゆーやだかゆーまだか、そんな名前だった気がするけど覚えてない)は母親の過干渉から逃げるために、恭介の家で一時的に暮らすらしい。部屋の掃除とかで家がばたばたするから一週間くらい相手できないです、と申し訳なさそうな電話がかかってきたとき聞いた説明は、そんなものだった。それ以上の詳しいことは知らない。部外者のおれが知っても仕方のないことだろうから訊く気もない。
 そんなことよりこの雨だよ雨。袋の中からチューハイの缶(新商品のスイカのやつ。この前同じシリーズのりんごがおいしかったから買ってみた。恭介には季節商品に当たりなんてないですよって言われたけど気にしない)を取って、あーあ、とため息をつく。恭介と花火大会行きたかったのに。ついでに屋台でいろいろ食べたかったのに。
「あーもー花火見たかったあー」
「え、花より団子な先輩のことだから、てっきり花火よりビールだと思ってました」
「それもあるけどお」
 認めると、あるんすか、とツッコまれた。あるよもちろん。アルコール大事だよ。
「先輩がそんなに花火好きだとは知りませんでした」
「だって夏じゃん。夏と言えば花火じゃん」
「はあ……まあそうですけど」
 それに、恭介とは一度もお祭りに行ったことがないから今日の花火大会を結構楽しみにしていたのだ(文化祭はあくまでも「文化祭」であって「お祭り」とは違うものだと思う)。今日行こうとしていたのは電車で一時間ほどかかる隣の市のものだから、地元の模山七夕祭と違ってあの子に見つかって「兄さん」なんて声をかけられる危険性も低いし。
 恭介の前でみっともないことはしたくない。もっとも、風邪をこじらせて死にかけたり悪夢にうなされたり酔っ払って吐いたりしてきたおれが「みっともないことはしたくない」と思っているのを知ったら、もう先輩が何しても俺は引きませんよなんて恭介は笑うかもしれないけど。
「あーあ、花火ー……」
 雨のせいでひんやりとつめたいテーブルに頬っぺたをくっつけて唇をとがらせていると、恭介は苦笑してまたおれの頭を撫でた。なんだ今日の恭介は。サービスデーなのか。
「いいじゃないですか、花火大会は来年もあるんですから」
「えー。来年一緒に行ってくれんの?」
「いいですよ」
 あまりにもさらっと言うので、「何で俺が行かなきゃいけないんですか」くらいの返事を予想していたおれは言葉に詰まった。去年の今頃、遊びに来るたびに歓迎してませんと顔に書いて(それでも毎回律儀にお茶とお菓子が用意されていたところはいかにも恭介らしい)おれを出迎えていた恭介と同一人物なんだろうか。
「……いいの?」
「別にいいですよ。つか何でそんなこと訊くんすか、先輩らしくない」
「ん、え、いや、ほら来年恭介くん受験生じゃん」
「受験生ですけど先輩はそんなことスルーで俺を連れまわす人だと思ってました」
「恭介くんはおれのことを一体何だと思ってるの」
「整った外見を無駄遣いしてる我侭全開の合法ショタだと思ってます」
「言い放題だね恭介くん……」
 何だ合法ショタって。言いたいことはわかりすぎるほどわかるけど。
 ちょっと母屋行ってきます、と立ってドアを開けた恭介が、あ、と声を上げた。どしたのー、と床に転がったまま訊くと、「雨上がってきたみたいですよ」と衝撃的な報告が返ってきた。思わずはね起きておれも外に出る。
「えええええ! いーまーさーらー!?」
 まだ曇っているものの、雨自体は完全にあがっている。夜になってあがるなんて空気の読めない雨だ。どうせなら一日中ずっと降り通してくれればまだ諦めもついたのに。
「仕方ないっすよ、こればっかりは。ちょっと待っててください」
「うん……」
 空気読めよなー、と黒い雨雲を恨みがましく見上げながら三本目のチューハイを飲んでいると、思ったよりも早く恭介が戻ってきた。何やら四角いものとバケツを持っている。
「それ何?」
「花火です」
「はなび?」
「英語で言うとファイヤーワークスです」
「いや日本語だけで理解できたけど」
 四角いものの正体は、台紙にいろんな種類の手持ち花火をくっつけて袋詰めにした、ホームセンターやコンビニで売っているアレ(何て呼ぶんだろう、花火の詰め合わせとか?)だった。当然のようにチャッカマンとセットで渡されて、反射的に受け取ったもののどうしたらいいかわからない。
 渡された花火は中型くらいの袋で、二人でやるにはちょうどいい量だ。でもさっきの恭介の口ぶりからして、わざわざおれとやろうと思って買っておくほど花火が好きだとは思えない。何でこんなの用意してたんだろう。あ、従妹とやろうと思ってたのかな、これ。エンジョイサマーセット、と書かれた台紙に刺さったキャンディみたいな色合いの紙を巻かれたたくさんの花火は、暇さえあれば遊びに来る我侭な先輩じゃなくて年下の従妹のために買われる方が似合っている。被害妄想かもしれないけど。
「バケツに水入れるまで火つけちゃだめですよ」
「おれがやってもいいの?」
「だから水用意できるまでだめですって」
「いやそうじゃなくて」
 これ従妹とやるんじゃないの、と訊く言葉は続けられなかった。この質問は明らかに恭介のプライベートへ踏み込み過ぎている。あまり深く関わりたくないのだ。おれはおれといるときの恭介だけ知っていればそれでいい。全部知ろうなんて思ったら苦しくなるだけだし、少しでも踏み込めばブレーキのかけどころがわからなくなってしまうはずだから。
「先輩があんまりしょんぼりしてるんで。まあ手持ち花火しかないですけど、ちょっとは楽しいかなと」
「そ、そんなにしょんぼりしてないよ」
「いやあ、あんなに見事なしょんぼりは久し振りに見ました」
 庭の蛇口(離れの横にあるのだ。多分ホースで水をまいたりするためのものだろう)で水を汲み終わった恭介が、重そうなバケツを持って戻ってきた。開けていいですよ、と言われてあわててビニールを破る。
「……手持ち花火は好きじゃないですか?」
「え、いや、好きだよ」
「そうですか。なんか先輩にしてははしゃいでないから、打ち上げ以外認めない派なのかと」
「おれにしてははしゃいでないって何ですか恭介くん」
「事実です」
 嬉しいことは嬉しい。恭介がおれのためにわざわざ花火を出してきてくれたことも、一緒にやってくれるのも嬉しい。そうだ、嬉しいときは笑わないと。つまんなくても怒ってても悲しくても笑うんだから、嬉しいならなおさら笑ってなきゃ。そうだった、なんでおれ忘れてたんだろう。笑ってないと。笑ってないと。
「ありがとね、恭介くん」
「いえいえ」
 早速一本火を点けると、色のついていない火が勢いよく先端から噴き出した。青とか赤もきれいだけど、このタイプが一番シンプルで好きだ。火ください、と恭介も金色の細い紙を巻いた花火を取って近づけてきた。点火用の紙があっというまに焼けて、緑色の火がこぼれる。
 花火は好きだ。結びついている思い出が全部幸せで満ちているからだろう。小さい時は祖父母と毎年庭でやっていた(といっても祖父は縁側に座っているだけで、遊んでいるのはおれと祖母だけだった)し、高校の頃なんて三年間で二十回はやった。何度やっても飽きなくて、毎回バカみたいに騒いで笑って遅くまで盛り上がった。アルコール抜きであんなにはしゃぐことなんかきっともう二度とない、と思うくらい。それに、母親と花火大会を見に行ったこともある。
「恭介くん恭介くん! 二刀流!」
「うお、お約束」
 火薬のにおいとシュウシュウ音を立てながら燃える火には人を興奮させる作用がある、と思う。さっきまで飲んでいたお酒がようやくまわってきたらしく、ただでさえ高くなってきたテンションに拍車がかかる。
「ライトセイバー!」
「振り回さない! 子供か!」
「振り回したっていいじゃない、合法ショタだもの」
「自分で言いますかそれ」
 まったくもう、と言いつつ恭介も楽しそうだ。恭介が楽しいとおれも楽しい。
「そんなに花火が好きだなんて知りませんでしたよ」
 笑う恭介の横顔に、花火も好きだよ、と呟いた。
 おれの両手でうるさいくらいに爆ぜる炎にまぎれこませたから、聞こえなかっただろうけど。


Fin


20090712sun.u
20090711sat.w

 

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