45.捨てられた日のこと



 


 ねこ。ぞう。うさぎ。へび。じゃっかる。かば。らいおん。きりん。ひょう。ぬー。くじゃく。はいえな。
「あーくん、おやつ食べる?」
「たべる!」
 くれよんでお絵かき帳いっぱいに絵をかいていると、おばあちゃんがオレンジゼリーをもってきてくれた。お絵かき帳をひろげて、今までかいていたたくさんのどうぶつを見せる。
「みてみて」
「随分いっぱい描いたねえ」
「うん。どうぶつえんだからいっぱいいる」
「ああ、動物園なのね。おばあちゃん動物あんまり知らないから、あーくん教えてくれる?」
「いいよー」
 指をさしながら、これはねこ、これはぞう、とおばあちゃんに教えてあげる。これはうさぎ。にんじん食べるの。これはへび。にょろにょろぬるぬるしててネズミとか人とか食べるの。ふむふむ、とおばあちゃんが頷いてくれるのがうれしくて、おれは知ってることをなるべくいっぱい教えてあげようとがんばってしゃべる。これは花きりん。
「花きりん? 普通のきりんじゃないの」
「花きりんはね、花を食べるの。きまった色の花しか食べなくて、体はその花と一緒の色になるんだよ。だからきいろだけじゃなくてピンクとか赤いのとかいっぱいいる」
「動物園にいたの?」
「いないよ。おれが考えたの」
 かいた動物を全部教えてあげてから、いっしょにおやつを食べた。いっしょにっていっても、おばあちゃんはにこにこしながら見てるだけだけど。ごちそうさまでしたと手をあわせて、続きをかこうとお絵かき帳をひらくと、おばあちゃんが「あのね、」と言った。なーに、と顔をあげると、ちょっとだけ笑う。いつもと違うかんじの、すごくちょっとだけの笑いかた。
「あーくん、おじいちゃんがお母さんのことでお話あるって」
「おかーさん!?」
 お絵かき帳を放って、おれは勢いよく立ち上がった。おじいちゃんもおばあちゃんもやさしくて大好きだけど、おかあさんがいないとやっぱりさみしい。
 おばあちゃんに手を引かれておじいちゃんのお部屋へ行くと、紺色の着物を着たおじいちゃんがうちわをぱたぱたしていた。なんだかぼーっとしてるみたい。暑いのかな。おじいちゃんのお部屋にはクーラーないし(うちわと扇風機だけで大丈夫なのすごいなあって思ってたけど、やっぱり暑いんだ)。おばあちゃんに背中をおされて、おれだけがおじいちゃんのお部屋に入る(さっきとおんなじちょっとだけの笑顔を見せて、おばあちゃんは戻っていってしまったのだ)。
「おじいちゃん、暑いの? あおいだげよっか?」
「ん……いや。大丈夫だ」
 うちわのぱたぱたをやめてからも、おじいちゃんはしばらくぼんやり黙っていた。
「……昨日のことをどれくらい覚えている?」
「きのう?」
 きのう。きのうはたしか保育園に行って、帰ってきて、夜はおうちでお絵かきしながらおかあさんを待ってた。そのあとは、……?
 思い出せない。寝ちゃったのかもしれない。そうこたえると、おじいちゃんはすこしだけホッとしたように笑った。
「美知子は……ああ、おまえのお母さんはな、しばらく入院することになった」
「にゅーいん?」
「病院はわかるか?」
「わかる! かぜひいたりおなかいたくなったら行くところ! でしょ?」
「そう、そこだ。お母さんはしばらく病院で暮らすことになった。おまえは連れていけないから、その間俺とばあさんが面倒を見る。だからしばらくはここが家だ」
 そこまで言うと、おじいちゃんはおれがわかっているかどうかを確かめるようにすこしだけ首を動かした。まっててね、いま考えるから。
 おかあさんは病院にいなきゃいけなくて、おれはそのあいだここでおじいちゃんとおばあちゃんと一緒に待ってる。病院はかぜひいたりおなかいたくなったら行くところ。おかあさんはかぜひいてなかったから、おなかがいたいのかな。
「おかあさんだいじょぶなの?」
「……ああ、大丈夫だ。でも元気になるまで、ちょっと時間がかかるかも知れん」
 おじいちゃんは嘘をついていない。なぜかわからないけど、おれにはそれがわかった。でもそしたら、このざわざわする感じはなんだろう。もうおかあさんに会えないような、気がする。
「おかあさんはいつ迎えにきてくれるの?」
「……それはわからん」
「おかあさん、迎えにきてくれるの?」
 おじいちゃんは黙った。答える代わりに、またうちわをぱたぱたさせている。やっぱりもうおかあさんはおれのことを迎えにきてくれないんだ。
(あんたはどうしていつもいつも私から――)
 知らない声が耳の奥から聞こえて、おれはなんだかすごくこわくなった。高くてこわい、怒ってるみたいな声。こんな声の人しらないよ。おかあさんはもっとやさしい声をしてるし、いつもしずかに話す。
(あんたなんか本当は生まれないはずだったんだから、どうしてあんたみたいな)
 涙がぼろぼろとこぼれた。こわい、こわいよこわい!
 もう声を聞きたくなくて、おれは大声をはりあげた。
「お、おれがわるいこだから迎えにきてくれないの!? ねえ、おれ、おれ、っが」
 喉がふるえて、どうしても続きは言えなかった。青黒い泥がおなかの底から喉までぎっしり詰まったみたいだ。喋れなくなって、ただ泣きはじめたおれを、おじいちゃんが抱きしめる。細くて骨のういた腕は、おかあさんのやわらかい腕と全然違って、痛かった。
「忘れなさい。全部忘れなさい」
 おまじないみたいに何度もおじいちゃんは言う。忘れなさい。忘れなさい。忘れなさい。昨日のことは全部忘れなさい。大丈夫だから、忘れなさい。
 泣き疲れておれが眠ってしまうまで、おじいちゃんはずっとおれをなにかから守るみたいに抱きしめていてくれた。


 それからしばらくして夏が終わって、秋に入って、冬になって、春が過ぎて、また夏がきても、おかあさんはおれを迎えにきてくれなかった。
 おれは四歳の夏に、そうして捨てられたのだった。


Fin


20091207mon.u
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