48.不在の終わりのこと



 


「恭介くんてごまあん食べれる派ー?」
 母屋から戻ってくるなり、寝転んで漫画雑誌を読んでいるちゅー先輩にそんなことを訊かれた。なんすか、と目で訊くと体を起こし、鞄から薄い箱を取り出して自慢げに掲げた。地味な色の包み紙に「温泉まんぢゅう」の文字が力強く躍っている。力強すぎてシンプルなパッケージとはあまり合っていない。はあ、なるほど、饅頭ですか。
「もしかして食べれない?」
「や、食べられますよ」
 好き嫌いなくて偉いねー、とちゅー先輩はふにゃふにゃ笑った。俺のような雑な味覚をしている人間には、つぶあんもこしあんもごまあんも大差ないだけだ。というか、あんの種類に気を配るくらいなら、そもそも俺が甘いものは嫌いではないというだけで好きなわけでもないことを覚えておいてはくれないだろうか。
 やかんを火にかけ、台所から持ってきたばかりの各種ティーバッグを所定の場所に収める。種類ごとにきっちり分けて並べるのは面倒だが仕方ない。以前は緑茶や紅茶を適当に持ってきて突っ込んでいたのだが、ちゅー先輩が来るようになってからはお菓子に合わせて紅茶がいいだのほうじ茶がいいだのとわがままを言い、さらに最近はミヅ姉が勝手に自分用のハーブティーを置いていく(ローズヒップだのハイビスカスだののきらきらしいパッケージを男の部屋に置かないでほしい)ので、整理しないとちゅー先輩のわがままに対応できないのだ。饅頭なら緑茶でいいよな、と一つ取り分けたところでふと気づいた。
「先輩?」
「はーい?」
「……いや、なんか、当然のように俺の部屋にいますけど」
「え、いまさらじゃん? 滞在時間的にはもうおれ半分くらい恭介くんちの子だよ」
「勝手に辻家の一員にならないでください。そうじゃなくてですね先輩、俺が言いたいのは」
「あ、お湯わいたよ恭介くん、お茶淹れて」
 俺の話よりお茶の方が大事なんですか、先輩。
 と思ったがちゅー先輩のちゅーは自己中のちゅーなのだから、後輩の話なんかよりも自分が飲むためのお茶を淹れさせる、の優先度が高いのは当たり前だろう。火を止めながら、わたしがだれよりいちばん、と古いアニメソングの歌詞をワンフレーズだけ口ずさむ。前後を無視してそこだけ抜き出すと先輩にぴったりだ。もしかしてツノ生えてるんじゃ、と地肌を探るように髪をさわってみたけれど、当然ながら何もない。撫でられていると思ったらしくご機嫌な声で鼻歌をうたいはじめた。あ、だめだ腹が立ってきた。お茶はー、と催促してくるのを無視して先程と同じ質問を繰り返す。
「で、だから、何でここにいるんですか」
「なーに、今日の恭介くんはずいぶん哲学的なことを訊くねえ。おれ思うー、ゆえにおれありー、的な?」
「半月以上も!」
 呆れるほどにいつも通りのちゅー先輩を、けれど俺の側はいつも通りの溜息ひとつで受け流すことができなかった。なんだこれ、まるで怒ってるみたいじゃないか、と自覚はしたもののどうにも軌道修正ができないまま続ける。
「半月以上も連絡なしに来なくなったら訊きたくもなりますよ! どこで何してたんすか!」
「怒ってるの?」
 まじまじと目を見ながら首を傾げられて、思わずひるんだ。なんで、と訊いているようなその表情に、カッと沸いていた血が冷えてくる。
 怒っているわけでは、ない、はずだ。俺には怒る理由がない。いつぞやのように約束をすっぽかされたわけではないのだし、俺の家に来るも来ないもちゅー先輩の自由である。連絡だって普段からろくに取りあっていない。雨が降れば呼びだされるし、それ以外にもごくごくたまに電話やメールをすることもあるが、機械の苦手なちゅー先輩と何事に対しても不精な俺とではせいぜい三往復もすればマシな方だ。だから、怒っているわけじゃない、はずだ。それじゃあ荒くなるばかりのこの語気は何なんだろうか。言葉を探しながら自分の感情を整理する。
「怒って、……というか、あの、ですね、えーと。あ、前に、春頃かな、先輩が風邪引いてぶっ倒れてたこと、あったじゃないですか」
「あー、うん。その節はあんがとねえ」
「あの、だから、またああいうふうになってるんじゃとか、先輩一人暮らしだからなんかあっても運悪かったら誰も気づかないかもしれないとか、そんな感じで先輩のことを心……っ配、してたっつうか、また何かあったのかとか、色々と考え……てた、んです!」
 ぱちぱちと音のしそうなまばたきを繰り返し、ややあってから「おれのこと心配してたの?」とちゅー先輩が言った。
「……し、てまし、たよ! おせっかいかなとは思いましたけど!」
 そうだ。俺はちゅー先輩のことを心配していたのだ。あのやけにそわそわする感じも、時間をもてあましていたのも、このたかが半月程度の時間が二年くらいに感じたのも、全部心配していたからだ。だってそうじゃないか。先輩と俺は友達と称するには違和感のある関係だけれど、親しいか否かで言えば自信を持って前者だと答えられる仲ではある、と思う。親しい人をいきなり見なくなったのだから、心配くらいするだろう。して当たり前だ。しなかったらむしろ薄情だろう。……と、いうこと、は、だ。
「先輩は俺が心配もしないような人間だと思ってたんですか」
「え、いや、えー」
 図星らしいあやふやな笑い方に、また少し腹が立ってきた。俺を信頼していない先輩に、ではなく、先輩に信頼されていない俺に対してだが。先輩に頼られたいと思うばかりで、頼ってもらえるだけの何かを積み重ねてこなかったのは俺自身だ。それどころか心配もしないような人間だと思われてすら、いたのだ。
 俺の心情を知ってか知らずか、先輩は中途半端な微笑み方のまま口を開いた。
「あの、さ。心配されてるとか全然思わなかったんだけど、それは恭介くんがどうとかじゃなくて……あー、おれね、そんな心配されたことってなかったんだよ。あ、まあ、藤見さんには結構心配かけてるけど、あの人はほとんど身内だから、そうじゃない人に心配されるの、なんていうか……そういうことがあるってこと自体、頭の中になかったんだよね」
 言葉を探しあぐねているのか、パーカーの紐を指先でくるくるといじりながら、いつもの先輩らしくないたどたどしさで切れ切れに続ける。
「恭介くんはおれが適当にふらふら生きてる人間だって知ってるから、尚更そんな、心配かけるかもしんないとか全然思わなくて……前と違っておれ携帯持ってるからいつでも連絡つくし、余計にそんなこと考えなかった。なんつーか、だから、……ごめんね」
 珍しく素直な先輩に動揺して、いえ、と短く答えるのが精一杯だった。俺が勝手に心配してただけで、先輩に謝らせようとか、そういうんじゃなくて、その、と、しどろもどろになりながらも言葉を繋ぐ。
「あの、俺の方こそなんつか、すみません。でもあの、やっぱ心配なので、こうやって暫く来ない時とかは、なんか、一言ください」
「んー、わかった。それにしても」
 ふいに先輩がにーっと意地悪く笑って俺の顔を覗きこむ。なんなんすか、と睨むと頭まで撫でてきた。細い指と熱くて軽い掌がさわさわと髪の毛を行き来する。いつも撫でられているくせに先輩はあまり撫でるのがうまくない。いや、いつも撫でられているから、なのか。されるばかりで、する側に回ることなんてほとんどないのだろう。
「さみしい思いさせちゃったみたいでごめんね」
「……寂しいとは言ってねっす」
「えぇ? 少しくらいさみしがってよ」
 ニヤニヤ笑いを収め、代わりに造作のよさを限界まで引きだすような、やわらかく目を細めて唇を軽く結ぶやり方で先輩は微笑んだ。
「恭介くんとおれはなかよし、なんだし、さ」


Fin


20120701sun.u
20120616sat.w

 

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